風の便り

『芳洋』R186.3月号「風」より

 みなさま、こんにちは。このひと月は、寒波が来たり、突然の積雪があったりで難儀された方がおられるかもしれません。
また、電気代や燃料代の高騰で、頭を抱えておられる方も少なくないと思います。
本当に大変な状況が続いている昨今ですが、暗い顔でうつむいて暮らしていても状況は変わりません。そんな時、ふと頭に思い浮かぶのは、貧のどん底をお通りくださった教祖のお姿であり、官憲の弾圧や取り締まりを受ける中でも熱い信仰心で勇んで通りきられた先人達の姿です。

 いよいよ教祖140年祭に向かう三年千日の年祭活動がスタートいたしました。こんな時こそ、教祖のひながたを手本に、お道の人らしい明るい心で一日一日を乗り越えていきたいと思います。
 
 さて、先月号では、教祖がはじめて赤衣を召される直前に起こった出来事から、なぜ教祖とおやしきの人々は官憲の弾圧や取り締まりを受けるに至ったか、という原因について私の考察を述べさせていただきました。

 そして、教祖は世界たすけに向かって一気に歩みを早められ、着々と準備を進めていかれるわけですが、その中心となるのが「よろづたすけの道」として教えられるおつとめです。

 すでに、おつとめは、慶応2年秋に、「あしきはらひ」のおつとめの歌と手振りが教えられ、慶応3年の正月から8月にかけて、十二下りの歌がつけられていました。そして、そこから3年かけて、十二下りの手ぶりが教えられています。
さらに、明治3年には「ちょとはなし」と「よろづよ八首」のおつとめの歌と手振りが教えられ、明治6年には、飯降伊蔵様によってかんろだいの雛型が制作され、明治7年の6月に教祖御自ら、前川家に神楽面を迎えに行かれています。
そして、教祖がはじめて赤衣を召された半年後の明治8年陰暦5月26日には、かんろだいのぢば定めが行われ、かぐらづとめの中心となる「ぢば」の地点が明かされます。
また、この年には、「いちれつすますかんろだい」の歌と手振りが教えられ、これにより、「かんろだいのおつとめ」の手が、はじめて一通り整い、いよいよおつとめが完成間近となりました。

一方で、この年には、「をびや」や「萠え出」といった11通りのおつとめの手が教えられました。
明治10年からは、女鳴り物が教えられ、3年かけて御自ら理をお仕込み下さいました。
こうして、明治13年の頃には、おつとめもほぼ完成し、いよいよ親神様・教祖は、人々につとめの実行をお急き込みになられます。ところが、官憲の度重なる干渉や弾圧ゆえに、秀司様をはじめおやしきの人々は、おつとめの実行を躊躇なされます。
そんな人々に向かって、親神様は、
 
人間の義理を病んで神の道を潰すは、道であろうまい。人間の理を立ていでも、神の理を立てるは道であろう。さあ、神の理を潰して人間の理を立てるか、人間の理を立てず神の理を立てるか。これ、二つ一つの返答をせよ。
 
と、刻限を以て厳しくお急き込みになられたということです。
 このお仕込みにより、明治13年陰暦8月26日には、初めて三曲をも含む鳴物を揃えて、よふきづとめが行われます。
 
 しかし、その一方で、家長である秀司様は、親神様・教祖の反対を押し切って応法の道を選ばれるのでした。
現在の五條市にある真言宗のお寺・金剛山地福寺に頼んで、陰暦8月18日、おやしきに地福寺の出張所に当たる「転輪王講社」を開設してしまいました。しかし、このような応法の道は、勿論、親神様の思召に適うものではなく、教祖は「そんな事すれば、親神は退く」と仰ってお止めになられましたが、はたして、翌年4月8日、秀司様は御年61歳で出直されることとなってしまいます。

 ちょうど、この頃、明治13年には、初代真柱の真之亮様が、おやしきに移り住まれ、翌年、親神様の思召により中山家に入籍されることとなります。
そうしたふしや出来事がありながらも、多年、親神様・教祖が急き込まれてきた、おつとめの完成が、いよいよ目前に迫ってきました。
残すところは、つとめの中心となる「かんろだい」の完成を待つばかりです。

 そこで、親神様は、明治14年の初め頃から、かんろだいの石普請を急込まれます。この年、明治14年の5月5日、滝本村の山で石見が行われ、続いて5月上旬から、大勢の信者のひのきしんで石出しが始まりました。こうして石材も揃い、いよいよ陽気なかんろだいの石普請が始まることになるのです。
もちろん、その間も警察による干渉は続いていましたが、そうした中でも、かんろだいの石普請は着々と進められていきました。
しかし、かんろだいの石が二段まで出来上がった頃、普請にあたっていた石工が突如としておやしきから姿を消してしまいます。子孫の後日談によると、警察に連れて行かれたためだったということですが、肝心の石工がいなくなってしまい、石普請は頓挫することになってしまいました。

 さらに、翌明治15年の5月、突然、奈良警察署長が数名の警官を率いてやって来て、二段まで出来ていたかんろだいの石を没収してしまいました。
これにより、親神様が待ち望まれる、かんろだいの石普請は、中止を余儀なくされることとなります。このことについて、明治15年に記された、『おふでさき』第17号では、
 
それをばななにもしらさるこ共にな  とりはらハれたこのさねんわな  17号38
このざねんなにの事やとをもうかな  かんろふ大が一のざんねん  17号58
 
と仰せられ、このように、親神の意図を悟り得ぬ者により、かんろだいの石を取り払われたのは、親神様にとっても予期せぬ事態であり、何よりも残念なことであると、胸の内を明かされています。

 この出来事を受けて、おつとめの歌が「あしきはらひ」から「あしきをはらうて」に、「いちれつすます」が「いちれつすまして」に変更されました。
かんろだいの石が取り払われた後の「ぢば」には、小石が積まれてあったといいます。人々は、綺麗に洗い浄めた小石を持って来ては、積んである石の一つを頂いて戻り、痛む所、悩む所をさすって、数々の珍らしいご守護を頂いたそうです。
 
 これより少し後の明治15年の9月には、前年すでに中山家へ入籍されていた真之亮様が、まつゑ様に代わって家督を相続なされます。
また、真之亮様が家督を相続されますと、すぐに10月12日から26日までの15日間、教祖自ら、つとめ場所の北の上段の間にお出ましになり、毎日おつとめが勤められたということです。
 

 さて、余談ですが、おつとめは大別すると2種類のおつとめに分けられるように思います。一つは、お願いのためのおつとめ、もう一つは、「よろづたすけの道」であるおつとめです。
 教祖は、いわゆる「かぐらづとめ」をお教えくださるのと併せて、明治8年に、人間の暮らしに関わる具体的なご守護を願うための「11通りのおつとめ」をお教えくださいました。すなわち「肥、萠え出、みのり、虫払い、雨乞、雨あずけ」などの農作に関わるお願いのおつとめと、「をびや、一子、跛、ほふそ」などといった身上のご守護に関するお願いのおつとめ、そして、争いの治まりを願う「むほん」のおつとめです。

 さらに、当時は各地の講社でも、熱心にお願いづとめが勤められていたということですが、おそらく教祖は、各地の講社の人々に身上だすけのためのお願いのおつとめを教えられていたものと推測いたします。
我が兵神大教会のルーツである「兵庫真明組」でも、知り合いの家に病人がいると聞けば、すぐに講社の人々に連絡がまわり、鳴物を担いで病人の家へ集まり、お願いづとめを勤めたということです。

 このように、教祖は「よろづたすけの道」としてのつとめの完成を急がれる一方で、当時の人々の難儀や困りごとを具体的に取り去る手立てとしてのお願いのおつとめをお教えくださっていたものと考えます。
 
 よくよく考えてみますと、お願いのおつとめというものは、たとえ、かぐら面をつけてかんろだいを囲んで勤められる11通りのおつとめであっても、お働きを願う相手は親神様に他なりません。人間の身の内は勿論のこと、この世は神の体とお聞かせくださるように、全てのご守護の源は親神様です。ですから、人々が心を揃えて一手一つに願うところに親神様の受け取りがあり、自由自在のご守護があるのだと思います。

 しかし、そんな親神様でさえ思いのままにならないものがあります。それは、人の心です。そして、世の中の苦しみや悲しみ、理不尽や争いを引き起こしている元も、多くの場合が人の心の理であるように思います。『天理教教典』「第二章 たすけ一条の道」に、
 
このつとめは、親神が、紋型ないところから、人間世界を創めた元初りの珍しい働きを、この度は、たすけ一条の上に現そうとて、教えられたつとめである。即ち、これによって、この世は、思召そのままの陽気な世界に立て替つてくる。
 
とありますが、そうした悲しみや苦しみを生み出している世界の心の理を立て替えるべく、月日親神様も子供達と一緒になって願ってくださるのが、この「よろづたすけの道」としてお付けくださった「おつとめ」なのではないだろうか、そのような気がしてなりません。
 
 をやの「子供をたすけてやりたい」とうい親心に私たちの心を揃えて、一手一つに願い、おつとめ勤めるところに、「人間世界を創めた元初りの珍しい働き」と同様のご守護が、再び今たすけ一条の上に現わされる、ということなのだろうと思います。
 その、おぢばで勤められる「かぐらづとめ」の理を受けて勤められるのが、教会の月次祭で勤められるおつとめだとお聞かせいただきます。このおつとめに参画させていただく私たちは、「この世界を立て替える」、それくらいの大きな志を持って、親神様・教祖の御心に心を揃えて、つとめにかからせていただきたいものです。
 またまた長くなってしまいましたが、今月はここまでです。