風の便(先月号以前のもの)

『芳洋』R185.6月号「風」より

 私は現在、御本部で学生担当委員会の御用を担わせて頂いております。そこで、今月は若者の丹精について思うところを、少し述べさせて頂きたいと思います。
 
 まず最初にお尋ねしますが、皆さんはお子さんやお孫さんに対して、信仰的にどうなってもらいたいという願いを持っておられますか?
ぜひ、ちょっと考えてみて頂きたいと思います。
 
 たとえば、教会の長男ならば、教会長を継いでもらいたい。長男以外ならば、自発的にひのきしんやおつとめを勤めて、教会を支える人に成人してもらいたいというような親の思いをよく耳にします。また、教会長や布教師になって、バリバリとにをいがけやおたすけに回るような「おたすけ人」に育ってもらいたいと願われる親御さんも、少ないですがおられると思います。
 私が、教会長として若者に願うことは、とにもかくにも、親神様・教祖のご存在とお働きを信じられる人になってもらいたい。あるいは、ご恩報じのできる人になってもらいたいという、ごく基本的な願いです。 
 
 けれども、部内の会長さん方とお話をしていますと、「とにかく、どんな形でも教会につながっていてほしい」「時々でもいいから、教会やおぢばに参拝してほしい」と、そう考えている教会長さんも少なくないように感じます。リアルな話、「若いうちは無理に信仰を押し付けても、関係がギクシャクして逆効果になるだけだから、とりあえずは教会や家族に繋がっていてくれさえいれば、いつか信仰的な転機が訪れるかもしれない」というように考えておられるのかもしれません。それはそれで、親なればこその偽らざる願いであるようにも感じます。
 
 どれが正解ということはなくて、人それぞれの考え方は違うでしょうし、親御さんが置かれている立場や状況によっても違いが出てくるだろうと思います。また、子供さん一人々々の状況や立場でも違ってくるだろうと思います。
 ですが、どういった願いにせよ、その子に「どうなってもらいたいのか」ということを、一度ちゃんと整理して、考えをまとめておく必要があるように思います。もしも、そうでなければ、「その思いを伝える」ということができませんし、もちろん、相手に伝わることもありません。
それから、よく言う「立派なようぼくに育ってもらいたい」とか言われても、子供からすれば、「立派なようぼくって何?」って話ですし、どうすれば、その「立派なようぼく」になれるのかもハッキリ言って分かりません。
 
 また、最近の親御さんは、自分が若い時に親の思いや考えを押し付けられたりして嫌な思いをした経験から、自分の子供には出来るだけ自由にさせてやりたいという気持ちを持った親御さんが多いように感じます。
 もしも、そういう思いでお子さんに接したならば、おそらく、お子さんはその親の願い通りになると思います。つまり、何物にも縛られずに自由に生きていくだろうということです。それはそれでいいのかもしれませんが、もしも我が子にお道に繋がっていってもらいたいと思うのならば、まずは、その明確な思いを持って相手に接するということが何よりも大切なことだと思います。


 そして、押し付けではない、いい意味での期待をかけて育てるということも大切です。
 私事で恐縮ですが、私は小さい頃から、母親に「あんたは曾お爺様の生まれ替わりだ」と言い聞かせられて育ちました。母親は常々「お爺様は、すごく立派な方だったのだから、あんたにもお爺様に負けないぐらい立派な人になってもらわなければならない」と言っていて、非常に厳しく仕込まれたように思います。
 ハッキリいって、そんな母の事が私は苦手で仕方がなかったのですが、それでも曽祖父の生まれ替わりだと言われることは誇らしくて、幼心にもその期待に応えなければならないという使命感のようなものが芽生えていたように思います。
 
 それが、兵神に婿入りすることが決まった時、兵神の三代会長様が婿養子で、しかも、私とよく似た「清水由松」という名前だったことを知った母から「あんた、ひょっとしたら由松先生の生まれ替わりかもしれんね」と言われた時は、ひっくり返りましたが、私たち兄弟は、皆それぞれに幼い頃から誰々の生まれ替わりと言い聞かされて育ってきました。
 もちろん、それがプレッシャーになってしまうこともあるとは思いますが、子供に期待をかけて育てるということも、実はとても大切なことなのではないかと感じています。


 このように、若者の丹精において、まず第一に大事なことは、若者に「どうなっもらいたいのか」という明確な願いを持って接するということだと思います。そして、諦めずに願い続けるということです。また、それと同じくらい大切なことは、その思いをちゃんと伝えるということです。
 
 数年前、ある学生担当委員会の集まりで、表統領先生がご講話くださったのですが、その中で、ご自身がお道に対して斜に構えておられた若い頃の思いを振り返られて、「お道から離れていこうとする若い本人たちにすれば、物を言わない背中など見るはずがありません。そればかりか、自分は信仰の道を通ることを、親から一言も言われたこともないという理屈を与えているようなものだと、そんな考えを持っておりました」とお話しくださいました。
 
 私は、この「物を言わない背中」という表現がとても印象的で、今でもよく覚えているのですが、確かに表統領先生の仰るように若い人と話をしていますと、意外と「お道を通ってほしい」という親の思いを聞いたことがない、というようなことを言う若者がいます。
 教会の長男さんとかであっても、「お前は長男なんだから、しっかりしろ」とか「お前達兄弟で、教会を守っていってほしい」と言われたことはあるけれど、改めて「教会長を継いでほしい」とか「お前が後継者だ」というようなことは言われていないと言うのです。だから、「兄弟の誰かが教会を継ぐんじゃないですか?」と言うのですが、そういう教会はなかなか後継者が定まりません。
 
 親からすれば、当然「お道の信仰を受け継いでほしい」「教会を継いでほしい」と思っているとは思うのですが、きちんと相手に向き合って思いを伝えないから、お互いの気持ちが噛み合っていかないのだと思います。
 「信仰しなさい!」という命令ではなく、「信仰しなければならない」という強制でもなく、「信仰してほしい」という親の願いだけが、若者の心に届くメッセージになると思います。
 
 ですから、次の世代に信仰を伝えていくためには、若い人たちに向き合って、きちんと親の思いを伝えて頂きたいと思います。そして、いい意味での期待をかけてやって頂きたいと思います。
 もちろん、期待に応えてくれる若者ばかりではないとは思いますが、諦めずに願い続けるところにこそ、親神様・教祖のお働きがあると思いますので、ぜひ若者の丹精の第一歩として、全てのお道の大人が、皆で心掛けていきたいことだと思います。 

『芳洋』R185.5月号「風」より

 新年度を迎え、進級、進学、就職と新生活をスタートさせた方も少なくないのではないでしょうか。プロ野球も開幕し、新たな始まりを感じさせる季節となりました。また心機一転、新たな気持ちで進んでまいりたいと思います。
 
 しかしその一方で、予てからのコロナ禍に加え、ロシアによる軍事侵攻、それらの影響によるエネルギー問題、経済問題など、私たちを取り巻く社会状況は、日に日に混迷を深めています。
その中で、なかなか前向きな気持ちにはなれませんが、教祖は明治八年に、「をびや、ほうそ、一子、ちんば、肥、はえで、虫払い、雨乞い、雨あづけ、みのり、むほん」といった、具体的な救けを願うおつとめ「十一通りのおつとめ」をお教えくださいました。
 コロナ禍や戦争といった、あまりも大きな社会問題に対して、信仰では太刀打ちできないと感じてしまいがちですが、親神様・教祖は、こうした問題に対しても、ちゃんと手立てをお教えくださっているのです。やはり、このお道の信仰だけが、この世界を救うことのできる唯一の道なのだと感じます。
 
 しかしながら、コロナ禍やロシアの侵略戦争が世界に与える影響は絶大で、食料不足や資源の不足はより深刻となり、世界の国々で生活困窮者が激増しています。ここに至っては、いよいよ世界一れつの人間が、支え合い助け合わなければ乗り越えられないような状況が目前に迫ってきていることを感じます。
 
 教祖は御在世当時、人々に「この世の元はじまりのお話」をお聞かせになる前に、

「今、世界の人間が、元をしらんから、互に他人と云ってねたみ合ひ、うらみ合ひ、我さへよくばで、皆、勝手/\の心つかひ、甚だしきものは、敵同士になって嫉み合ってゐるのも、元を聞かしたことがないから、仕方がない。
 なれど、この儘にゐては、親が子を殺し、子が親を殺し、いぢらしくて見てゐられぬ。それで、どうしても元をきかせなければならん」と、云ふことをお話しになり、それから、泥海中のお話をお説きになり、しまひに、「かういふ訳故、どんな者でも、仲善くせんければならんで。」(『山名大教会初代会長夫妻自傳』)

とお話しになられていたと伝えられていますが、その原因は、「おふでさき」に
 
 をやこでもふう/\のなかもきよたいも みなめへ/\に心ちがうで (5号-8)

と仰せられるように、人にはそれぞれ、自分の中の価値観や正義というものがあって、それぞれ自分の都合というものがあるからだと思います。
 また、国には国の、民族なら民族の都合や正義というものがあるわけですから、お互いに、自分の正義が一番正しいと言って主張し合えば、この世の中から、争いは決してなくなりません。だからこそ、親神様は元の真実を明かし、一れつの人間が同じ親を持つ兄弟姉妹であることを伝えて、助け合わなければならないとお教えくだされたのだと思います。

 さらに、『稿本天理教教祖伝逸話篇』「三一 天の定規」というお話では、「世界の人が皆、真っ直ぐやと思うている事でも、天の定規にあてたら、皆、狂いがありますのやで。」と仰せられています。
 私たち人間の価値観や正義、あるいは常識や道徳さえも、所詮は人間の知恵や経験によって作り出されてきたものですから、人間の元なるをやの思召や陽気ぐらしのために設定された「天の理」に照らせば、必ず偏りやズレがあるわけです。であるならば、世界中の人間が、同じ「天の定規」を我が心の定規として、ズレや偏りを正していく努力をしなければ、世の中の争いや悲しい出来事はなくなりません。
 
 さあさあ、月日がありてこの世界あり、世界ありてそれぞれあり、それぞれありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで。
 
 いま、遠い国々で起こっている悲しい出来事に対して、私たちが出来ることは少ないかもしれません。しかし、一日も早く、世界一れつの人間が支え合い、助け合い、真心を尽くし合えるお互いとなれるよう、身近なところから陽気ぐらしが実現できるよう、共々に努めさせていただきましょう。

『芳洋』R185.4月号「風」より

 私は現在、御本部が開催する天理教基礎講座の事務局長としてつとめています。以前にも書かせて頂いたお話で恐縮ですが、ある日、基礎講座のある講師とお話をしていると、その先生がこんな話を聞かせてくれました。

 その日、先生が南礼拝場前の参道を歩いていると、石畳の参道の真ん中辺りで立ち往生して動けなくなっている若い女性がいたそうです。
「どうしたのかな?」と思い、様子を伺っていると、そこに30代半ばくらいのご婦人が慌てた様子で駆け寄って行くので、何か事件かと思い、その先生も近づいて行ったそうです。すると、大学生と思しき若い女性の白いスカートが自転車の後輪に絡まって、動けなくなってしまっていたのでした。 
 その先生は、普段は本部の営繕部門で勤務されている方で、ちょうど、その時も神殿のメンテナンスに向かうところで、タイミングよく工具箱を持っていたそうです。そこで、自転車の後輪を外してやり、絡まっていたスカートを外してあげました。

 すると、その女性の絡まって黒く汚れてしまったスカートを見て、最初に駆け付けた女性が、「これから学校でしょ? これを履きなさい」と言って、ちょうど車にあった、自分のスカートを持ってきて差し出しました。そして、その女の子がスカートを履き替えると、その姿を見た女性は、「服と合わないか」とつぶやき、今度は、それまで自分が履いていたズボンを脱いで持ってきて、「これに履き替えなさい」と言って女性に差し出したのです。
 かくして、自転車の修理も終わり、女の子が二人にたすけてもらった御礼を述べると、女性は「それ、あげるから、気にしないでね」と言い残して去っていかれたそうです。
 
 その先生は、自分のスカートや履いているズボンさえも迷うことなく差し出した、そのご婦人の行動に、軽い衝撃を受けたのと同時に、たまたまその場に居合わせて、その人だすけのお手伝いをさせてもらったことに、大きな喜びを感じておられました。
 
 皆さんは、この話を聞いて、どう感じられたでしょうか? 悪い印象をお持ちになられましたか? おそらく多くの方が、悪い印象というよりも、ホッコリするような良い印象を受けられたのではないでしょうか。
 人が人を思いやり、偽りのない真心を尽くす。そういう姿には、誰もが心惹かれ、嬉しい気持ちになるものです。
今も昔も、親子愛、夫婦愛、兄弟愛、友情、そして見返りを求めない真心が映画やお芝居の題材となり、多くの人々の心を惹きつけ、幸せや感動を与えてきました。
 
 『天理教教典』第三章「元の理」には、「この世の元初りは、どろ海であつた。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた。」とあります。
 「混沌たる様を味気なく思召し」とありますが、「あじけない」とは、おもしろみや魅力がなくつまらないことを言います。元々、この世の中には人間がいないわけですから、当然、親子もない、夫婦もない、兄弟や仲間もいない、真心を尽くし合える相手がいない、そんな味気の無い世界であったことと思います。親神様は、そんな味気のない世界に楽しみを見出そうと思召され、人間をお創りくださったのです。
 つまり、親神様は、親子愛、夫婦愛、兄弟愛、友情、そして見返りを求めない真心、そういった人間の心の誠が味わいたくて、この世と人間をお創りくださったのだと思います。

 いま、人と人が争い、傷つけあう姿は、混沌とした世の中の姿であって、親神様は、さぞ味気なく思召されていることと思います。
 冒頭の出来事のように、人と人が偽りのない真心を尽くし合う、そんな世の様が、親神様が見たいと思召された陽気ぐらしの姿なのではないだろうか。そして、それは同時に、私たち自身の願いでもあるかもしれない。そう感じています。

『芳洋』R185.3月号「風」より

 本部のある会議で、「教祖のひながたは暗い。しんどい」とマイナスなイメージを持っている人が少なくないように思うが、教祖のひながたは、辛い、しんどいような場面で、明るく陽気な心で通られたひながたなのだから、明るく語った方がいいのではないか? という意見が出た。

 その意見を受けて、別のある先生が、「教祖は50年の道すがらの中で、私たちからすれば、どちらかと言うと起こってほしくないような状況の中ばかりをお通りくださった。しかし、教祖は、どんなに辛いふしの中でも明るく陽気な心で乗り越えていかれた。だから、『教祖のひながたは暗い。しんどい』と感じてしまうかもしれないけれど、そのおかげで、私たちが、それに近い状況を経験した時、『大丈夫やで!』『きっと乗り越えられるで!』と教祖がそばお応援してくださっているような安心感を得ることができる。『あぁ、教祖は、今の私の為にこのおひながたをお残しくださったのではないか』とさえ思える瞬間がある。それが、教祖のひながたの有難さだと思う」とお話しくださった。

 それを聞いて、『稿本天理教教祖伝逸話篇』の「198 どんな花でもな」というお話を思い出した。
 
 ある時、清水与之助、梅谷四郎兵衞、平野トラの三名が、教祖の御前に集まって、各自の講社が思うようにいかぬことを語り合うていると、教祖は、
「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」
と、お聞かせ下されて、お慰め下された、という。
 
 このお話は、明治19年の頃のお話で、官憲の弾圧がいよいよ厳しさを増し、教祖ご自身も大変なご苦労の御道中をお通りくだされていた頃のお話である。そんな中でも、教祖は、優しく、おおらかな御心でお導きくださったことを知り、私自身、心が救われたことがある。
 教祖の御ひながたは、まさに暗闇の中で船の航行を導く灯台の灯りのようだ、と感じている。

『芳洋』R185.2月号「風」より

 兵神の理につながる皆さま、こんにちは。新年早々、新型コロナウイルスが猛威を振るっておりますが、恙なくお過ごしでしょうか?
 
 さて、去る一月四日、御本部にて恒例の「年頭のごあいさつ」が行われました。私も兵神を代表して出席させて頂きました。
 すでに『天理時報』などでも報じられていますが、その場で、真柱様は教祖の年祭について触れられ、十年に一度、年祭を勤めるということになれば、立教189年が教祖140年祭の年に当たり、来年は140年祭を目指す三年千日の動きに入っていくとして、「道を伸展させるためには、いろいろな意味において、教祖の年祭を勤めることは大切なことだと思うので、次の140年祭は勤めさせていただきたい」と述べられました。

 さらに、ご自身が関わった、これまでの教祖年祭を振り返られた上で、「教祖の年祭を勤める意味を徹底させることは、本当に難しいことだとあらためて思う。やはり、伝える側の責任は大きい」、また「伝える側の姿勢としては、信仰姿勢、普段から教祖の教えられたことを身に行い、なるほどの人になる努力をすることを怠ってはならない。その人の信仰から伝わるということはある」とお話しくださいました。
 立教189年の一月に教祖140年祭が勤められる。そして、それまでの三年間は三年千日の年祭活動。このことは、これまでの経験から予測できたこととはいえ、真柱様の御口からこのことに言及して頂き、目標が明確になったようで心が勇みました。

 ところで、真柱様はご挨拶の中で、「教祖の年祭を勤める意味を徹底させることは、本当に難しいことだとあらためて思う」と仰っていますが、本当にそうだと思います。
 教祖の年祭は、普通の人間の年祭とは異なり、故人を偲び、御霊を慰めるためのものではありません。なぜならば、教祖は目に見えるお姿は隠されても、その御心は、元の屋敷に留まって、今も存命のままお働きくださっているからです。つまり、ご存命だから、御霊を偲ぶ必要も、御霊を慰める必要もないということです。

 教祖が、現身を隠されて後も、存命同様に元の屋敷に留まってお働きくださっているという理解は、天理教の信仰者ならば周知のこととなっています。
 そして、このことが、はっきりと示されたのは、明治23年3月17日(陰暦正月27日)のおさしづによってです。
「守はこれまで教祖の御衣物を御守に用い来たりしに、皆出して了いになり、この後は如何に致して宜しきや伺」という「おさしづ」ですが、教祖は明治7年12月より赤衣をお召しになられます。そして、そのお召し下しの赤衣の一部を悪難除けのお守りとしてお下げくださっていたのです。

 おやしきでは、教祖が現身を隠された後も、教祖の赤衣のお召し下しを「お守り」としてご下附くださっていましたが、そのお召し下しの赤衣も全部出してしまったので、今後はどのようにさせて頂いたよいかとご指示を仰いでいます。その伺いに対して、

 さあ/\尋ねる処、守いつ/\続かさにゃならん。赤衣という、いつ/\続かんなれど、そうせいでもいと、何尺何寸買うてそうすればよかろうと思うなれど、赤き 着物に仕立てゝ供え、これをお召し更え下されと願うて、それを以ていつ/\変わらん道という。

という「おさしづ」がありました。

 まず、「守いつ/\続かさにゃならん。」と仰せられ、現身を隠されて尚、子どもをいついつまでも守ってやりたいとの親心をお示しくださっています。そして、教祖の目に見える姿がなくなってしまったので、赤衣のお守りを続けることは難しいと思うだろう。また、それならば、赤い生地を何尺何寸買って来て、それをお守りにして渡せばよいと考えるかもしれない。しかし、そうではない。御在世の時と同様に赤い着物を仕立てて、これを供えて、「これにお召し更え下され」と願うようにせよ。そうしてくれたならば、それを以て、いついつまでも変わらぬ守護をしてやろう、と仰せくださっています。

 このお言葉を受けて、赤衣を供えるのは、御休息所の教祖のご霊前へ供えればよいのでしょうか。それとも、教祖の代理たる役割をおつとめくださっている本席様にお願いして、着て頂けばよろしいのでしょうか、とお伺いすると、

 さあ/\これまで住んで居る。何処へも行てはせんで、何処へも行てはせんで。日日の道を見て思やんしてくれねばならん。

とのお言葉がありました。ここで初めて、教祖が、現身を隠される以前と同様に元の屋敷にお留まりくださっていて、いまも日々お働きくださっているという「存命の理」が明かされたのです。

 また、「押して、御霊前へ赤衣物に仕立て、御召し下されませと御願い致しますにや」という伺いに対しては、

 さあ/\ちゃんと仕立て御召し更えが出来ましたと言うて、夏なれば単衣、寒くなれば袷、それ/\旬々の物を拵え、それを着て働くのやで。姿は見えんだけやで、同んなし事やで、姿が無いばかりやで。

とお答えくださっています。

 さらに、明治25年2月18日夜の「おさしづ」では、

 ・・・(前略)・・・休息所日々綺麗にして、日々の給仕、これどうでも存命中の心で行かにゃならん。・・・(中略)・・・存命中同然の道を運ぶなら、世界映す又々映す。・・・(中略)・・・宵の間は灯りの一つの処は二つも点け、心ある者話もして暮らしてもらいたい。一日の日が了えばそれ切り、風呂場の処もすっきり洗い、綺麗にして焚いて居る心、皆それ/\一つの心に頼み置こう。

とも仰せられています。

 以前にも何度かお話ししたことがありますが、十数年前、私が本部で青年勤めをさせて頂いていた時、ある本部員先生からお話を聞かせて頂く機会がありました。
 その先生は、私たち青年たちに対して、「最近はな、本部へ参拝に来る人を見ていると、神殿には参拝に来るけれど、神殿から教祖殿へ向いて遙拝で済ます人が多いな。だけどな、そんな水臭い事しとったらあかんで。教祖は私たちの親なんや。親なんやから、子どもの顔を見るのを楽しみに、首を長くして待っていてくださるんや。それを、こんなにも近くまで来て、顔も見せずに帰るというのは、こんなに親不孝なことはないんやぞ」とお話くださいました。

 「水臭い」「親不孝」という言葉を聞いて、なんだか「なるほどなぁ」と思いました。また、その先生の「教祖は親なんや」「ご存命でそこにおられるんや」という「ご存命の教祖」を想う信仰信念みたいなものが、心に突き刺さったような気がしました。それ以来、私たち夫婦も可能な限り教祖殿へ足を運ばせてもらうようにしています。

 教祖ご存命の理」、頭で理解することも大切ですが、やはり、肌で感じるというか、足繁く足を運ばせてもらって、教祖に顔を見て頂いて、息をかけて頂いて、そうやってご存命の教祖の温もりを感じていくことが一番確かな気がします。
 また、そういう「教祖はご存命でそこにおられるんや」という信仰信念を映していく意識も、信仰を伝えていく上では、大切にしなければならないことではないかと感じています。
 教祖の年祭に向けて勇んでつとめさせて頂きましょう。

『芳洋』R185.1月号「風」より

 兵神の理につながる皆様におかれましては、本年も一年、それぞれのお立場の上に、またお道の御用の上に精一杯の誠真実をもっておつとめくださったことと存じます。心より厚く御礼申し上げますとともに、新たに迎えます年が、皆さまにとって健やかな喜び多い一年となりますことを、心よりお祈り申し上げます。

 さて、新年を迎えるに当たり、新しい成人目標を考えましたので、ご説明させて頂きたいと思います。
 
 一、朝起き・正直・働きの実践を心掛けよう。
 一、「日々の理」を実践し、毎日のお連れ通りを願おう。
 
 まず、「朝起き・正直・働き」の実践ですが、おかげさまで、すでに実践を心掛けてくださっている方が大勢おられます。すでに取り組んでくださっている方は、引き続き実践をお願いいたします。また、まだ実践できていない方は、これが信仰の土台となりますから、ぜひ心を定めて取り組んで頂きたいと思います。

 次に、「日々の理」についてですが、これも、以前から婦人会兵神支部では「日々のお供え」として取り組んでくださっていますし、年間の心定めの項目にも「日々の理」とあり、清水國雄四代会長の頃から取り組んで頂いている実践項目です。
 それを、あらためて成人目標とする意図ですが、ここで皆様にお願いしたいのは、「毎日」、「自ら御神前へ足を運び」、「その日一日のお連れ通りを願う〝理立て〟としてお供えを添えさせて頂く」ということです。おさしづに、

 日々運ぶ尽くす理を受け取りて日々守護と言う。(明治26年12月6日)

とありますが、「日々の理」とは、おそらく「日々運ぶ尽くす理」という意味だと思います。そこからすれば、「日々の理」というのは、金銭のお尽くしだけではなく、身や心を尽くすこと、あるいは、ぢばに足を運ぶことも含んでいるように思います。

 教祖の高弟に山中忠七という先生がおられますが、この先生は、教祖とそのご家族が貧のどん底をお通りくださっていた頃、大豆越村にある自宅から、毎日白米を一升ずつ袋に入れて、おやしきへ通われたそうです。おやしきでは大層喜ばれたので、家族の方が「そんなに喜んで頂けるのなら、五斗俵でお供えさせてもらったらいいのに」と言うと、教祖は、「毎日毎日、こうして運んでくれるのが結構やで。」と仰ってくださっていると家族に言い聞かせ、その後も一升ずつの白米を持って、毎日おやしきへ足を運ばれたそうです。
 まとめて運ぼうが、分けて運ぼうが、人間からすれば、どちらでもいいことかもしれません。しかし、毎日々々自ら足を運んで、親神様・教祖にお米を献じさせて頂くということは、30日なら30回分、365日なら365回分の真実の心を運ぶということになります。ひと月に一回まとめてというのでは、お米の量は変わりませんが、神様がお受け取りくださる真実には大きな差が生じるのだと思います。

 ですから、山中先生のように「毎日、自ら御神前へ足を運ぶ」ということを第一のポイントとしたいと思います。ちなみに、私が御神前と言っているのは、教会に足を運んでもいいし、家にお祀りしているお社でもいい。それがなければ、家の上座に賽銭箱を置いて、場所を決めて運ぶのでもいいと思います。とにかく神様に心を運ばせてもらうことが大切で、金額はたとえ10円でも100円でも構いません。大事なことは、5人家族なら5人一人ひとりが自分自身で御神前へ参り出て、自らの手でお供えをするということが、信仰実践としての「日々の理」であると考えます。婦人会のように「日々のお供え」と呼んで頂いても結構です。

 また、おさしづに、

 危ない事、微かな理で救かるは日々の理という。 (明治26年4月29日)

と仰せられていますが、危機に直面した時、ほんの一瞬の差で難を逃れる場合もあれば、逆に運悪く、一瞬の差で巻き添えになってしまう場合もあります。その危うい局面で難を逃れさせて頂いたり、大難を小難に治めて頂けるのは、「日々運ぶ尽くす理」を神様が受け取って働いてくださるからだということなのでしょう。
 ですから、一日のはじめに、その日一日のお連れ通りを願う〝理立て〟として、わずかばかりでもお供えを添えさせて頂くことが大切なポイントとなるのです。

 「理立て」は、現在では金銭のお供えを表す言葉として使われていますが、なぜ同じ金銭のお供えをわざわざ「理立て」や「お尽くし」と呼び分けるのでしょうか?
 たとえば、私たちが神様に何事かをお願いする時には、「自分の力」(自分の理)では叶えられそうにないと思うから、神様におすがりするのだと思います。つまり親神様や教祖のお力(理)を足して頂いて、なんとか願いを叶えたいと思うから願うのだと思います。
 そして、親神様や教祖のお力(理)を足して頂くためには、「価を以て実を買うのやで」と仰せられるように、そのお働きの対価として「誠真実の心」が必要となりますが、その真心を表す形として、「二の切り」といわれる金銭のお供えを添えさせて頂く、それが「理立て」ということではないかと考えています。

 古今東西、信仰というものは、元来、祈願(お願い)からはじまるものだと思います。お道の場合でも、初代の信仰者のほとんどが、身上・事情の治まりを祈願(お願い)するところから信仰が始まったはずです。
 しかし、信仰の代を重ねるとだんだんと結構になり、神様に祈願する必要性を感じなくなってしまうことがあります。また、現在の信仰スタイルは、教会、特に月次祭を中心としたものとなっていて、日常の生活とは少し距離がある場合が多いように感じます。
 初代の信仰者ならば、にをいがけやおたすけで入信したのだから、当然、教会長や布教師の行動範囲内、つまり教会の周辺に住居を持つ人がほとんどだったと思います。しかし、時代や信仰の代を重ねるにつれて、転居せざるを得なくなるのは自然の成り行きというものですし、教会と距離ができてしまうのも仕方のないことです。

 こうした状況においては、信仰を日常の生活に落とし込んでいかなければ、信仰の喜びや実感を味わうことは難しいかもしれません。信仰は個人の自由ですので、どんな信仰をしようが、その人の勝手ですが、このお道が本来の「人がたすかる信仰」「人がたすかっていく信仰」となるためには、日々願って通り、親神様・教祖のお働きを感じていく必要があると思います。やはり信仰というものは、祈願(お願い)からしか積み上がっていかないものだと私は思います。

 願うからこそ、親神様のお働きに気づけるのです。願わなければ、なにか不思議なご守護を頂いても、ただ「ラッキー」だったとしか思いません。しかし、それでは、神様にお礼を申し上げることもなく、ただ恩が重なっていくばかりです。
 逆に、毎日願って通れば、日々我が身に起こってくる出来事の中に、親神様のお働きや親心を感じる瞬間が訪れるはずです。そうして、お願いとお礼を繰り返していくうちに、親神様、教祖との心のパイプがつながり、いざという時に、親神様・教祖におすがりできる信仰が培われていくのだと思います。

 次の世代に信仰の値打ちや喜びを伝えていくためにも、まずは、この「日々の理」「日々のお供え」の実践から始めていきたいと思います。
新たな一年も、どうぞよろしくお願いいたします。

『芳洋』R184.12月号「風」より

 十月二十三日の秋季大祭には、世話人・上田嘉太郎先生が二年半ぶりにご参拝くださり、祭典講話をおつとめくださいました。
 世話人先生は、お話のテーマについて、事前に希望をお尋ねくださったので、私は、「おやさまのお話をお聴かせいただきたいです」と申し上げました。すると、同じ世話人教会の撫養大教会の会長さんも同じこと言っていたと仰ってご快諾くださいました。世話人先生のご講話は、今月号と来月号の芳洋に全文掲載させていただきます。

 さて、私がなぜ「おやさまのお話」をリクエストしたのかということですが、理由は単純で、兵神の皆様に教祖のお話を聴いてもらう機会が少ないと感じたからです。もちろん御本部の神殿講話や大教会の祭典講話でも、教祖のお話は出てくるのですが、教祖のみちすがらやおひながたについて真正面から聴かせていただく機会は、ほとんどないように思います。これは、私自身の反省でもあります。
 これまでの先例に倣いますと、あと一年も経てば、教祖百四十年祭の年祭活動がはじまります。しかし、実際のところ、教祖の年祭といっても「正直ピンと来ない」という方も少なくないはずです。

 そもそも、教祖の年祭はなぜつとめられるのでしょうか? それは、「私たちの真実の親である教祖の親心にお応えしたい。」「教祖の御恩に報いたい。」「大恩ある教祖の年祭をつとめずにはいられない。」、そんな止むにやまれぬ心情からなのではないでしょうか。
 では、そもそも教祖は何をなされた方なのでしょうか? また、教祖は、どんなお姿をされていて、どんなご日常をお過ごしになられていたのでしょうか? そういう知識やイメージもなしに、教祖を親だとか恩人だとか感じることは難しいかもしれません。

 言うまでもなく、このお道は、教祖お一人からはじまった道であり、私たちの信仰にとって、教祖は決して欠くことのできないご存在です。ですから、来年、年祭活動の旬を迎えるに当たって、ぜひ教祖について、共々に理解を深めさせていただきたいと思います。
 そこで、来年一月の春季大祭から一年間は、大教会の祭典講話のテーマを全て「おやさま」とさせていただきます。まず手はじめに一月、二月と私がお話をさせていただきます。できれば、兵神部内のお教会でも来年一年間は「おやさま」をテーマにお話をしていただけたら、来るべき年祭活動に向けた良き理づくりになるのではないかと思います。
 この道の信仰者であるお互いが、ご存命の教祖のぬくもりを心に感じながら、直向きにひながたの道を辿らせて頂く、そんな成人の機会にできればと願っています。

『芳洋』R184.11月号「風」より

 立教から百八十年余り、教祖お一人からはじまったこのお道は、いまも脈々と受け継がれ、私を含め多くの人々がたすけられています。本当にありがたいことです。
しかしながら、昨年来、教会の統合、御本部への御目標様のお戻りということが進められ、残念ながら多くの教会が、その歴史に幕を下ろすこととなりました。致し方のないこととはいえ、大教会長として大きく責任を感じるとともに、「なんとかしなければならない」という気持ちが湧いてきます。

 そんなある日、青年会本部から出版されている『たすけ一条に生きる』という本を読み返していますと、筒井敬一という先生へのインタビューが収録されており、その中に以下のような内容がありました。

 教祖百年祭をつとめ終えてしばらく経った頃、当時の布教部の講演講師が集まって、「教会を盛大にするにはどうしたらよいか?」という話し合いをされていたそうです。
 そこで、立場のある先生方が喧々諤々の議論をされていたそうですが、その場に常岡一郎という有名な先生がおられました。
 しかし、常岡先生は終始、一言も発することなく黙って座っておられたので、常日頃から常岡先生を敬愛していた筒井敬一先生は、せっかく常岡一郎大先生がおられるのに、一言もご高説を頂かないというのは大変もったいないことであるから、ぜひ一言賜りたいと申し出たそうです。

 すると、常岡先生は「そうですか。じゃ失礼します」と言ってお立ちになって、

「私は二十歳のときに大喀血をして、それで死んだんだ。
その死ぬところを、父からおさづけをしてもらい、不思議にたすけていただいた。それ以来、天理教の信仰をしている。
 そして、一日も欠かすことなく教祖のお供を続けている。
 教祖は、私にいろんなことを教えてくださった。けれど、私は教祖から「教会を盛大にしなさい」ということを聞いたことがない。
 教祖が、私に一貫して教えてくださったのは、「人をたすけなさい」ということ。「教会を盛大にしなさい」とは一言もおっしゃられなかったが、「人をたすけなさい」とはおっしゃった。
 だから、人をたすけるという方向へ向かって、私はお言葉に沿って通っております。以上です。どうもありがとうございました。」

と言って座られた、というエピソードです。

 私は、これを読んで、胸が震える思いがしました。
 常岡先生の仰る通りだと思います。私たちが信仰する目的は、人をたすけて、世界の人々と共に陽気ぐらしをするためであって、教会を盛大にするためではないのです。教会が盛大な姿になるのは、それだけ沢山の人がたすかっていったという結果の姿に過ぎないのです。
 どれだけ歴史を重ねても、また代を重ねても、教会というものは、常に「人が救かっていく場所」でなくてはならないし、お道の信仰は「人が救かっていく信仰」でなくてはならないと思います。

 「おさづけ」でも「お話」でも、私たちようぼくの役割は「取り次ぎ」です。「取り次ぐ」というのは、教祖の高弟の先生がそうであったように、お道の門を叩く人々に対して、教祖に代わってお話やおさづけを取り次がせて頂くことだと思います。
 それで働いてくださるのは、親神様であり教祖ですから、、私たちは、ただ教えて頂いた通りに、何も足さずにそのまま取り次がせてもらえばいいわけです。つまり、たすけを求める方に対して、たすけたい親神様や教祖の御心にしっかりと繋がってもらえるよう、上手に繋いでいくのが私たちの仕事だと思うのです。
 そこに少しだけ真実を添えさせてもらえばいいのです。

 少し気が早いですが、これから教祖百四十年祭の旬に向けて、兵神大教会が尚一層「人が救かっていく場所」となるよう、各々が教祖の取次ぎの御用をしっかりとつとめさせて頂き、親神様、教祖の不思議自由のお働きをお見せ頂く、その機運を高めて参りたいと思います。

『芳洋』R184.10月号「風」より

 みなさん、お元気でお過ごしでしょうか? おかげさまで、私たち夫婦、そして母も恙なく過ごさせて頂いております。
 
 さて、新型コロナウイルスの事情が長引く中、今後どうしていけばよいのか、天理教の教会はどうあるべきなのか、そんなことを考える機会が増えてきたように感じます。
 また、本部の御用のため大教会で過ごせる時間が極端に減り、こうした状況の中で、自分は大教会や兵神につながる皆さんのために何ができるのだろうか? と自問自答を繰り返す日々が続いています。

 しかし、いくら自問自答してみても、結局は役目も十分に果たせず、今後向かうべき方向性を見出すことすらできない自分に苛立ちを感じたり落ち込んだりしています。申し訳ない限りです。
 要するに私は高慢な人間なのです。自分に何ができるとか、方向性を指し示すとか思っている時点で高慢です。今はただ自分にできることをやるしかないのです。
 今月の二十六日で、私は丸九年会長として勤めさせて頂いたことになりますが、私はいつも「どうなってもらいたい」とか「どうしてもらいたい」と、人に真実を求めてばかりで、自分自身は十分に真実を尽くせていなかったように思います。
いかに自分が、人に求める心の強い人間であったか、そのことに気づかされました。

 私たちの教祖は、決して人に求めることはなされませんでした。それどころか、いつも目の前の誰かに対して、満足を与えよう、喜びを与えようと、与える一方の御心であられたように思います。
 教祖は、誰彼の隔てなく物を与え、金銭を与え、温もりを与え、希望をお与えになられました。さらには、教えを与え、気づきを与え、勇気を与え、目標をお与えくださいました。人に真実を求めるのではなく、人に与える心を持つこと、これも教祖の「ひながた」と言えるかもしれません。
 思うに、人に求める心は暗く、かえって苦しみを生み出すものです。逆に、人に与える心は明るく、自分の心に喜びを与えてくれるように思います。

 真柱様は、今年の年頭のごあいさつで「丹精」について言及なされましたが、時間や労力、お金や物、すなわち自分に与えられているものを誰かのために差し出すということが、丹精において大事なポイントであるように感じます。
 お金や物、時間や労力、自分に与えられている物を誰かのために差し出すということは、簡単そうに見えて、意外と難しいことです。普通に考えれば、自分にメリットがないばかりか、自分の分がなくなって、自分が困るかもしれないというリスクを負うからです。けれども、だからこそ親神様、教祖の受け取りがあって、人の心にも届くのだと思います。

 先日、私が担当している基礎講座のある講師と話をしていると、こんな話を聞かせてくださいました。
 その日、本部の近くを歩いていると、南正面の参道の真ん中で立ち往生して動けなくなっている若い女性を見かけたそうです。そこに、三十代半ばくらいのご婦人が慌てた様子で駆け寄って行ったので、何か事件かと思い近づいて行ったそうです。すると、大学生くらいの若い女性の白いスカートが自転車の後輪に絡まって、動けなくなっていたのでした。 
 その講師は、本部の営繕部の勤務者の方で、ちょうど神殿のメンテナンスに向かうところだったので、タイミングよく工具箱を持っていたそうです。そこで、自転車の後輪を外して絡まっていたスカートを外してあげたそうです。

 すると、最初に駆け付けた女性が「これを履きなさい」といって自分の持っていたスカートを差し出したそうです。そして、そのスカートに着替えた女の子を見て、女性は「合わないか」とつぶやき、今度はそれまで自分が履いていたズボンを着替えて持ってきて、これに履き替えなさいと女性に手渡したそうです。
 自転車の修理も終わり、若い女性が二人にたすけてもらった御礼を述べると、「それ、あげるから、気にしないでね」と言い残して去っていかれたそうです。
 その講師は、迷うことなく自分のズボンを差し出したそのご婦人の行動に感動を覚えたのと同時に、たまたまその場に居合わせて、人だすけのお手伝いをさせてもらったことに、大きな喜びを感じておられました。

 このお二人のように、誰かのためにお金や物、時間や労力を差し出し尽くすことは、決して簡単なことではありませんが、人の心に喜びや明るさを与えてくれるように思います。
 現代社会において、お節介は嫌われがちですが、押し付けではない程よいお節介は、やはり必要なことなのかもしれません。

 現在は、新型コロナウイルスの事情ばかりではなく、いろいろと上手くいかないことの多い今日この頃ですが、自分の足元ばかりを見て、上手くいかないことを嘆くよりも、周囲に目を向けて、誰かのために自分の時間や労力を使うことを意識していけば、喜べることも増えていくのかもしれません。
 教祖のように、満足を与えよう、喜びを与えようと、与える一方の心になれたらいいのにな、と思う今日この頃です。

『芳洋』R184.7月号「風」より

 今月は、私たちの心と八つのほこりについて私見を述べさせて頂きたいと思います。
 
自分は縛られている。
いろいろなものに縛られて生きている気がする。
時間、ルール、立場、財産、名声、人間関係・・・。
心が窮屈で不自由だ。
けれども、自分を縛っているものの正体って、一体何なんだろう?
 
成功したい。評価されたい。期待に応えたい。自分が望む通りの結果にしたい。人によく思われたい。人に好かれたい。笑われたくない。侮られたくない。嫌われたくない・・・。
 実は、そんな自分の「執着」によって縛られていることが少なくないように感じます。

「すべての人に好かれるなんてあり得ない」「笑いたければ笑えばいいさ」「いまはダメでもいつか状況が変わる日が来るだろう」「人は人、自分は自分」「ローマは一日にして成らず」「千里の道も一歩から」、そんな風に考えることができれば、随分と心は楽になり、呪縛から解き放たれる、そんな気がします。
 実は、自己評価が高すぎる、あるいは、自分自身に課しているハードルが高すぎるのかもしれませんね。

 教祖は、親神様の思召に沿わない心づかいを「ほこり」にたとえてお諭しくださいました。ほこりは吹けば飛ぶような些細なものですが、油断をしているといつの間にか積もり重なり、ついには、ちょっとやそっとでは綺麗にならないものになってしまいます。
 それと同様に、心づかいは銘々に「我がの理」として許されてはいますが、思召に適かなわない自分中心の勝手な心ばかりを使っていると、やがて心は曇り、濁って、親神様の思召も悟れなければ、親神様のご守護も十分に頂けない、そんな状態に陥ってしまうのです。
 そこで、このほこりの心づかいを反省し、払う手掛かりとして、「をしい、ほしい、にくい、かわい、うらみ、はらだち、よく、こうまん」の八つのほこりを挙げ、さらに「うそとついしょこれきらい」と心づかいの間違いを戒められています。

 けれども、この八つのほこりの心づかいは、どれも無意識のうちに湧き上がってくる当たり前の感情であるようにも思います。たとえば、
をしい「勿体ないなぁ。出したくないなぁ。面倒くさいなぁ」
ほしい「あれが欲しいなぁ。羨ましいなぁ。もっと欲しいなぁ」
にくい「あの人とは合わない。あの人とは口もききたくない」
かわい「我が子がかわいい。うちの犬は特別かわいい」
うらみ「あの人のせいでこうなった。あの人さえいなければ」
はらだち「本当はこうしたかったのに。普通はこうすべきだろう」
よく「あの人の持っているアレがほしい。どうしても手に入れたい」
こうまん「人よりも上に立ちたい。自分は特別な存在だ」
というような感情は、頭で考える前に瞬間的に湧き上げってくる、ごく普通の感情だと思います。ですから、これをコントロールすることは実は簡単なことではありません。

 しかし、その感情を野放しにしたり、その感情に固執してしまったりすると、いつしか、その感情がお化けとなり、いつのまにか心が囚われてしまいます。
 心が囚われてしまいますと、一時の感情が、あらゆるトラブルを巻き起こす火種へと変わってしまいます。すなわち、
をしい「絶対に損をしたくない」、
ほしい「自分にないアレを持っているあの人が妬ましい」、
にくい「あの人をぎゃふんと言わせたい」、
かわいい「我が子だけが私の生きがい」、
うらみ「あの人がいる限り私は幸せになれない」、
はらだち「けしからん。懲らしめてやろう」、
よく「奪ってでも、盗んででも手に入れたい」、
こうまん「のび太のくせに生意気だ」
というように、感情に継続性が加わり、より身勝手で、より人を隔てる心へと変化していってしまうのです。

 たとえば、我が子がかわいいという感情は人間には必要な感情ですが、我が子への過度な思い入れや執着は共依存の関係を生みやすく、子供の自立を妨げるので、結局はお互いにとって不孝な結果を招く場合が多いように感じます。
 また、はらだちの多い人には、正義感の強い人が多いように感じますが、「普通」や「常識」、「正義」というものは、人によって異なるものなので、「けしからん」という思いは一方的な価値観の押し付けになることが少なくありません。
ですから、湧き上がって来た感情は野放しにせず、その都度、胸の掃除をして、心から離す努力をすることが肝心なのではないでしょうか。

 また、何かに縛られて心が不自由だと感じるならば、その自分を縛っているものの正体を見つけ出す必要があるように思います。
「絶対失敗したくない」「こうあらねばならない」「アレがなかったら、生きてはいけない」というような自分を縛りつけている囚われや呪縛の元となっているは一体何なのでしょうか? 
 「なぜ失敗したくないのか?」「なぜ、そうでなければならないのか?」、そうして思案してみますと、「人によく思われたい。自分が望む通りの結果にしたい」という自分の執着こそが、自分を縛っているものの正体であることが発見されるかもしれません。
 結局、自分の思いや思い込みが自分自身を縛っている場合が多いように思います。そこに気付けば、あとは自分次第です。

 教祖は、
『流れる水も同じこと、低い所へ落ち込め、落ち込め。表門構え玄関造りでは救けられん。貧乏せ、貧乏せ。』
(『稿本天理教教祖伝逸話篇』五 流れる水も同じこと)
との親神様のお言葉に従い、中山家の家財を困っている人々に施し、貧のどん底へと進まれました。
 もちろん、この貧に落ち切るひながたには、様々な意義があることだろうとは思いますが、一つには、地位や名誉・格式・伝統・財産・権威、そういったものに囚われている心を解き放つところに、心を澄ますひながたをお示しくださったものではないかと思います。

 ほこりの心づかいと言えば、「親神様の思召に沿わない心づかい」と説明されることが多のいように思います。
すると、あたかも神様の御心に適わないと悪い事が起こる、だから気を付けなければならない、そんな風に受け取る方があるかもしれません。しかし、そうではありません。
 親神様・教祖は、一時の感情や欲望に流されて、妬んだり、恨んだり、争ったりしている、あるいは心が縛られて、囚われて苦しんでいる我が子の心を不憫に思召されて、陽気ぐらしができるようにと心を澄ます生き方をお教えくださったのだと思います。

 日々、親神様、教祖の親心とお蔭に思いを致し、毎朝一日の初めに、ご守護への感謝と御礼を申し上げ、一日のお連れ通りをお願い申し上げて通る。そして、おつとめで心のほこりを払い、心のつかい方に気を付けて一日を過ごす。
 さらには、一日の終わりには、その日一日のお連れ通りに御礼を申し上げ、一日の間に湧き上がって来た心のほこりをおつとめで払って頂く。
 こうして、親神様、教祖の親心とお蔭に目を向けて、ご守護を感じながら一日一日を過ごさせて頂くことによって、「人によく思われたい。自分が望む通りの結果にしたい」という囚われから心が解き放たれ、澄んだ心になっていけるのではないか、そのように感じています。
 あくまでも個人の悟りに過ぎませんが、何かのヒントになれば幸いです。

『芳洋』R184.6月号「風」より

みなさま、こんにちは。新型コロナウイルスの事情はいまだ終息せず、再び緊急事態宣言が発令される中ですが、それぞれいかがお過ごしでしょうか? 最近では、兵神の関係の方の中にも罹患された方が増えてまいりました。心よりお見舞いを申し上げますとともに、一日も早いご快復をお祈り申し上げます。

 さて私事ですが、去る四月十八日に教会本部の准員にご登用頂きました。またそれに伴い、五月一日付で布教部の庶務課に配属されました。今後は、課長補佐として主に基礎講座を担当し、その他の御用もいろいろと勤めさせて頂く予定です。
 この度の登用に際し、たくさんのお祝いの言葉や品物を頂戴いたしましたこと、この場をお借りしまして、心より厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

 しかし実を言えば、この度の登用を大変光栄に感じてはいるものの、これが嬉しいことかと言えば、内心は複雑な思いが渦巻いています。
現在は目下、突然の環境の変化に苦しんでいます。突然の登用、突然の部署配置、突然の引っ越し、十年以上も本部を離れていた私にとっては、簡単な話ではありません。次々とお与え頂く御用も、たとえ些細なことでも私にとっては初めてのことばかりで、精神的にも体力的にも追い込まれます。
 しかも、いま本部では、財政難と人手不足により部署の統合や業務内容の見直し・整理と、大変な変革を迫られています。その上、コロナ禍と勤務者の働き方改革の影響で本部在籍者の負担が増大、本部准員といえど、トイレ掃除に雑用、庭の手入れ、立派な労働力の一人として扱われています。

 45歳の誕生日を目前に、また初心に戻って一から青年勤めをさせて頂いているようで楽しくもありますが、時には理不尽に感じるような喜べないこともあります。そんな時は、「これはふしなのかもしれない」、「私と兵神大教会が、新たな展開に向かうために必要なふしなのだろう」と思うことにしています。
 今後は詰所に生活の拠点を置き、用事に合わせて大教会へ戻るという生活に変わります。皆様にも、何かとご迷惑をお掛けすることになるかと思いますが、これも道の上の大事な勤めですので、何卒お許し願いたいと存じます。

 さて、「ふし」と言えば、今まさに多くの方が「ふし」に直面されているのではないでしょうか。
 教祖は、「ふしから芽が出る」「ふしから大きいなるのやで」と仰せられ、ふしに向かうひながたをお残し下さいましたが、困難な状況の中にこそ、信仰の真価が問われるものですし、信仰の有難さが感じられると思います。
 「体験」と「経験」という言葉がありますが、体験と経験は異なります。「体験」は、行動することそれ自体を指し、「経験」は、行動した上で知識や技能を身に付けることを意味します。また、体験は「体験値」とは言いませんが、経験は「経験値」といって積み重ねられるものでもあります。つまり、同じ困難な状況でも、それをただ体験するのか、それとも心と頭を使って必死に思案して、改善のための努力を尽くすかによって、その後の展開に大きな違いが現れてくると思うのです。これは、あくまでも一般論にすぎませんが、「おさしづ」では、ふしについて次のように述べられています。

何でも洗い切る。今の処すっきり止めたと思えば、すっきり掃除。これまですっきり掃除すると言うてある。ふしからふしからの芽が出てある。こんな中から芽が出る。ちょっとの芽は一寸取れる、すっきり取れる。すっきり掃除。内から内へどっちもこっちも案じる事は要らんで。(明治二十一年三月九日)

さあ/\万事々々、あれも一つ、こちらも一つ、ふし/\心一つ定め。どういう、あちらもふしや、こちらもふしや、だん/\ふしや。心定めの理や/\、定め心の理や。前々より聞かして、定め一つの理や。早く心改め。早くふしを治め治め。順序一つの理を聞き分け。通し掛けた道は、通さにゃならん。早く一つの理。(明治二十一年九月十日)

年々の道、幾重のふしがある。ふしからふしが栄える一つの理。(明治二十二年二月二十一日)

一つのふしが無ければ聞き分けが出来ん。身上から一つの事情を尋ねる、尋ねるで知らす。(明治二十二年十月九日)

さあ/\事情運んでやれ。一時には怖わいようなもの、恐ろしいようなもの。後々案ぜる事もあろ。何も案じる事要らん。ふしという、ふしから世界治まる。さあさあ勇む/\。世界も勇むで。(明治二十七年五月二日)

ずつない事はふし。ふしから芽を吹く。やれふしや/\、楽しみやと、大き心を持ってくれ。(明治二十七年三月五日)

もうあかんかいなあ/\というは、ふしという。精神定めて、しっかり踏ん張りてくれ。踏ん張りて働くは天の理である、と、これ諭し置こう。(明治三十七年八月二十三日)

 「おふでさき」に、
 
だん/\とこどものしゆせまちかねる 神のをもわくこればかりなり (第四号六五)
 
と仰せられますが、親神様は「もっと大きな仕事を任せたい」、「もっと大きくしてやろう」、そんな深い親心から、あるいは子供の行く末を案じられる上から、ふしをお見せくださるのかもしれません。
人は、ふしでもなければ、立ち止まったり、それまでの歩み方を改め変えようとは思えないものだからです。

 親神様は、いつも子供たすけたい一条の親心で、私たちをお見守りくださっています。しかし、いつまでも心配な子供ばかりでは、親もしんどいですし、楽しみがありません。親の思いを聞き分ける頼もしい子供が出てくるからこそ、親の楽しみや喜びがあるのではないでしょうか。
 「陽気ぐらしをするのを見て共に楽しみたい」との親心に、少しでも報いることができるよう、「ふしから芽を吹く」成人の歩みを進めさせて頂きましょう。

『芳洋』R184.5月号「風」より

新型コロナウイルスによるパンデミックの発生から、すでに一年以上が経ちました。
今ではWITHコロナの生活にもすっかり慣れてしまいましたが、このコロナ禍を通して多くの人が感じたことは、「これまで当たり前だと思っていたことが、当たり前じゃなくなってしまった。」、「私たちが当たり前だと感じていたことは、実は当たり前ではありませんでした。」というような気づきです。お道の信仰のある無しに拘らず、今まで当たり前だと思っていたことは、実は当たり前ではなかったという実感を共有したように感じます。
ところで、「当たり前」の反対語は、「とんでもない」「もってのほか」なのだそうですが、私の感覚では、「当たり前」の反対は「有難い」ではないかと感じています。
「有難い」は「有ることが難しい」と書きますが、WITHコロナの生活を通して、マスクや消毒液、学校の授業、送別会、家族の団らん、人とのふれあい、健康や自由、誰もが「ごく普通のこと」「ありふれたこと」、つまり、私たちが当たり前だと思っていた物事は、実は「有難い」ことだったのだと気づくことができました。
でも、よく考えてみれば、地震、津波、豪雨、台風、自然火災など、私たちはこの十年の間に人間には為す術のない大自然の圧倒的な力を何度も目の当たりにして、その度に「私たちが当たり前だと思っていたことは実は当たり前じゃないんだ」と感じてきたように思います。そして、その都度人間の無力さを味わい、何かしらの感謝と畏れの念を抱いてきようにも感じます。
ところが、私たちは何度同じような経験をしても、すぐに忘れてしまいます。なぜならば、すべてが「当たり前」だと感じてしまう程、親神様の御守護がさり気なく、しかも万全な御守護だからなのです。昔ならば、その感謝の心や畏れの念を忘れてしまわないように、年毎の祭祀や土地々々の信仰として受け継がれてきたことでしょう。
「おふでさき」に
たん/\となに事にてもこのよふわ 神のからだやしやんしてみよ(三号 135)
めへ/\のみのうちよりのかりものを しらずにいてハなにもわからん(三号 137)
とお示し頂きますが、私たちお道の信仰者は、親神様の「十全の御守護」と「かしもの・かりものの理」をお説き明かし頂いていますので、世の中の人々が当たり前だと感じている物事の裏には、親神様のお働きと親心が込められていることを知っています。
けれども、知っているだけではダメですし、「ありがたい」「もったいない」と心の内で思うだけでは十分ではありません。まずは親神様の親心とお蔭を知り、その上で、その御恩に対して御礼が言えるようになってこそ、お道の信仰者だと思います。
おつとめやひのきしん、人だすけやお尽くしは、どれも基本的には親神様への御恩報じの行いですが、親神様にお受け取り頂くためには、届けるための行動が必要です。
 
WITHコロナの生活は、まだしばらく続きそうですが、この事情を通して私たちがどう変われば親神様・教祖の御心に適うのでしょうか? また、どうすれば、このふしから芽を吹く御守護をお見せ頂けるのでしょうか? そこを思案する必要があるように思います。ただ茫然と立ち止まっているだけでは、信仰の意味はなくなってしまいます。
ですから、このお道を信仰するお互いは、この新型コロナの事情から、「私たちが普段当たり前だと思っていたことは、実はとても有難いことばかりだったのだと身に染みて分かった」という気づきから一歩進んで、「だから毎日朝夕、親神様に御礼とお願いを申し上げることの大切さを改めて感じることができた」と胸を張って言えるような毎日を送らせて頂きたいものです。
さらには、周囲の人々の真心やお蔭にも目を向けて、「今までよりも少し優しい気持ちになれた、低い心になれた気がする」と言えるよう、感謝や慎みの心を言葉や行いに表していければよいと思います。
それでこそ、陽気ぐらしのキーワード「感謝・慎み・たすけあい」を謳う天理教の「なるほど」の姿として世の中に映っていくことでしょう。

『芳洋』R184.4月号「風」より

この世界は、目に見えるものと目に見えないものの両方で成り立っています。
人は、目に見えるものの存在は無条件で信じることができますが、目に見えないものの存在を信じることは、なかなか難しいことのようです。
しかし、目には見えないが存在する、そういうものは確実にあるのです。たとえば、エアコンの風は目には見えませんが、皆あることを知っています。それから、声や匂いも目には見えませんが、確かにあります。これらは目には見えないけれど五感で感じることができるので、信じることができるのだと思います。また、科学的に調べれば、何らかの方法で実在を証明できるかもしれません。

では、「心」はどうでしょう? これも目には見えませんが、誰もがその存在を信じています。けれども、これを科学的に実証することは難しいかもしれません。
目に見えないものは信じない。あるいは、科学的に証明されないものは信じないという方もおられるかもしれませんが、目に見えなくても科学的に証明されなくても、「確かにある」ものがあるのです。

それでは、神様のご存在や人間の魂はどうでしょうか?
世の中には、これらを否定する方も少なくありませんが、これらも目で見ることはできませんし、科学的に証明することもできないと思いますが、昔から多くの人があると信じてきました。
ある時、教祖の高弟・辻忠作先生らが「天理王命の姿は有るかと尋ねられますが、どう答えてよろしゅうございますか」とお尋ねしたところ、教祖は、「あると言えばある、ないと言えばない。願う心の誠から見える利益(りやく)が神の姿やで」とお答えになったそうです。
また、人間の魂については、魂は生き通しで、その一生々々ごとに親神様から身体をお借りして、生れ更わり出更わりを繰り返しているということで、借り物の身体をお返しすると、次に生まれ替わるまでの間は、親神様が抱きしめてくださっているとお聞かせいただきます。

もう一つ、目には見えないけれど、とても大切なものがあります。それは「理(り)」です。
これも目には見えませんし、科学でも証明することのできないものだと思います。「理」とは、一般的に物事の筋道。条理。道理のことであり、不変の法則。原理。理法あるいは、論理的な筋道。理屈。ものの道理を表します。
お道の「理」は、親神様のお働きそのものを指す場合や、親神様がこの世を守護される上で設定されている原理や法則を指す場合があるように考えられます。これを「天の理」と呼ぶのだと思いますが、この天理に沿ってこの世は成り立っているのだと思います。
さらに言えば、その「天の理」の出発点にあるのが、「元の理」です。「元の理」で必ず押さえておかなければならないことは、「元の親」・「元の場所」・「元の思い」の三つです。
「元の親」とは、月日様(くにとこたちのみこと・をもたりのみこと)と「いざなぎのみこと」・「いざなみのみこと」の御四方のことで、「元の場所」とは、母親なる「いざなみのみこと」の胎内に子数が宿し込まれた場所であり、「いざなみのみこと」が子数と共に三年三月留まられた場所の中心、すなわち「ぢば」の地点です。
さらに「元の思い」とは、「月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」という親神様の最初の思いです。
親神様の守護は、このような元の理を出発点とする「天の理」に沿って成り立っているものであり、そのルールの下に、私たちの心づかいや行いによって、個々の「理」が拵えられていくのです。

親神様の御心に適う善い心づかいや行いは「誠」とか「真実」と呼ばれ、「功(こう)」や「徳」として積まれていきます。逆に、親神様の御心に適わない悪しき心づかいや行いは、「心のほこり」と呼ばれ、「悪いんねん」として積まれていきます。その「理」が、親神様のご守護に影響を及ぼすというのが「天の理」の基本的なルールなのだと思います。
 明治二十五年一月十三日のおさしづに、
「理は見えねど、皆帳面に付けてあるのも同じ事、月々年々余れば返やす、足らねば貰う。平均勘定はちゃんと付く。これ聞き分け。」
とあります。

また、諸井政一著『正文遺韻』には、
「いんねんというは、前生ばかり、いんねんというやない。悪しきばかりが、いんねんやない。この世でも十五歳よりこのかた、してきたことは、善きも、悪しきも、皆いんねんとなる。また、前生善きことしてあれば、いんねんとなりて、この世で現れるか、次の世で現れるか、必ず、現れんということはない。悪しきことも、その通りなれども、善きいんねんは、皆一れつ喜ぶことゆえ、すぐと現し、すぐと返してくださる。
されど、悪しきいんねんは、できるだけ延ばしているという。
それ、世界中は皆、神の子どもゆえ、人間の、我が子思うも同じこと。皆可愛いばかりで隔てなきゆえに、悪しきことしても、またそのうちに善きことをして、前の悪しき理を埋めるかしらんと、可愛さに、悪の報いは、だん/\延びる。」
と説明されています。(※読みやすいように漢字に変換しています)

また、「おふでさき」に

 このかやしなんの事やとをもうなよ
 せんあくともにみなかやすてな 五号53
 よき事をゆうてもあしきをもふても
 そのまゝすくにかやす事なり 五号54

とありますが、親神様は、このルールを「かやし」と呼ばれています。

身上の煩いや事情のもつれなどの節が現れてきた時、「なんで親神様は、こんな節をお与えになるんだろうか?」と節の原因を親神様の御心に求める人がありますが、私たちの身に起こってくることは、すべて私たちの心通りであり、私たち人間の心づかいの理に対する「かやし」なのです。
それどころか、おさしづに、
「世界中、みな神の子供。難儀さそう、困らそうという親はあるまい。」(明治20年12月9日)
と仰せられていることから、子供の苦しむ姿を見て、一番心を痛めてご心配くださっているのは、他ならぬ親神様・教祖なのだと思います。
先月号の風でも述べましたが、親神様は常に万全(十全)の守護を以て、私たちをお育てくださっています。そこに、何か不都合が起きる原因のほとんどは、私たちの心の理にあるのです。

では、もしも、我が身に不都合な状況が生じた場合、私たちはどうすればよいのでしょうか? 
一つは胸の掃除です。そして、もう一つは親神様・教祖の親心にすがることでしょう。
しかし、親心にすがるにしても、明治二十年一月十三日(陰暦十二月二十日)の教祖のお言葉に、
「さあ/\実(じつ)があれば実(じつ)があるで。実と言えば知ろまい。真実というは火、水、風。」
「さあ/\実を買うのやで。価(あたい)を以て実を買うのやで。」
と仰せられています。
「実があれば実があるで」の「実」とは、一つ目の「実」が人の心の真実で、二つ目の「実」が親神様の真実を仰せられています。
そして、その親神様の真実というのが火・水・風のご守護だと仰せられるのです。
さらに、「実を買うのやで」の「実」は、いま申した親神様の真実、つまり火・水・風のご守護であって、「価」というのは代価のことです。文脈からして、「人の心の真実」を代価として、親神様の真実、つまり火・水・風のご守護を買うのだと仰せられているのでしょう。

もしも、我が身に不都合な状況が生じた時、すでに「天の帳面」に「功(こう)」や「徳」といった「理」が十分に積んであれば、何も心配はないと思いますが、それが十分でないとしたら、ひたすら受け入れて「たんのう」するか、どこかで理をお借りするしかありません。
その場合、教祖におすがりして親の理を足して頂くのが最良の方法だと思いますが、「頭金(あたまきん)」くらいは自分で用意しなければなりません。なぜなら、「価」がなくては、親神様は働くことができないと仰せられるからです。
では、何を以て「価」とするのか。それが「誠真実」です。お道では、お願いに添える「誠真実」として、心定めや金銭のお尽くし、人だすけ、たんのうなどが挙げられますが、親神様がお受け取りくださるのは、形や行為ではなく「心の誠」です。ですから、何を定めるにしても「精一杯」が必要条件となるのではないかと思います。

この世界は、目に見えるものと目に見えないものの両方で成り立っています。人が目に見えないものの存在を信じることは、なかなか難しいことですが、この目に見えない「理」の世界が、目に見える世界の後ろ盾となっているわけですから、目に見えない「理」の存在を理解し、「理」を重んじて通るところに、私たちが陽気ぐらしに近づく道が見えてくるのではないでしょうか。

『芳洋』R184.3月号「風」より

今月は、お道の教えの世界観について述べたいと思います。
まず、何よりも肝心なことは、親神様が親であるという世界観です。おふでさきに、

せかいぢう神のたあにハみなわがこ
一れつハみなをやとをもゑよ   (四号79)

と仰せられるように、紋形ないところからこの世と人間を生み出してくださった元の親なる親神様からすれは、世界中の人間は、みな可愛い我が子だと仰るのです。そればかりか、親神様御自ら、子供である人間に対して、ご自身のことを「親と思え」と仰せくださっています。だからこそ、私達は「天理王命」という神名を持つ神を「親なる神」で「親神様」とお呼び申し上げているのだと思います。
さらに、『稿本天理教教祖伝逸話篇』「104 信心はな」では、教祖が「神さんの信心はな、神さんを、産んでくれた親と同んなじように思いなはれや。そしたら、ほんまの信心が出来ますで。」と仰せくださっています。このように、神様を「親」と捉えてお慕い申し上げるところにこそ、このお道の教えの核心があるようです。

では、その「親」である親神様の望みは一体何なのでしょうか? 元の理に「月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」と教えられていることから、親神様のお望みは「人間の陽気ぐらし」ということになります。

それでは、「陽気ぐらし」とは何でしょう? 実は、これが難しいのです。お恥ずかしながら私自身もはっきりと答えられません。そこで、親の目線で考えてみることにしました。
親が我が子に望むことは何か? それは、まず第一に、「我が子が一人の社会人として立派に身を立てて、生き生きと元気に暮らすこと」ではないでしょうか? また一方で「我が子たちが、兄弟姉妹で仲良く助け合い、支え合って暮らすこと」なのではないでしょうか?
すなわち、親神様の望まれる「陽気ぐらし」も、それに近い事なのだろうと思います。
なんだ、そんな当たり前の事かと笑われるかもしれませんが、実際はどうでしょうか? 
果たして私たちは、そんな親の望みを叶えられているでしょうか?

次に、親神様は立教の時に、「このたび、世界一れつをたすけるために天降った」と仰せられています。ですから、お道の人間は、人間の状態を「たすかる」「たすからない」で判断してしまいがちですが、「たすかる」「たすからない」の基準はなんでしょう? これも親の目線で考えてみたいと思います。
 おそらく親の目から見た我が子は、基本的に「心配」の対象なのではないかと思います。私の両親もいまだに私の心配ばかりしています。そこで、敢えて四段階に分けるとしたら「頼もしい子供」、「安心な子供」、「心配な子供」、「残念な子供」といった感じで分けられるように思います。

他の多くの宗教では、神は偉大にして絶対的な存在であり、人間に裁きや罰を与える存在ですので、その影響か、お道の中でも身上の煩いや事情のもつれを親神様から与えられた罰や試練のように受け取る方がおられるように思います。確かに、おふでさきには「ざねん(残念)」・「りいふく(立腹)」という言葉が多く見受けられますが、果たして親神様は人間に裁きや罰を与えられるご存在なのでしょうか? おふでさきに、

にんけんのハがこのいけんをもてみよ
はらのたつのもかハいゆへから   (五号23)

と仰せられているように、立腹も、我が子が心配だからこその「腹立ち」なのです。
そもそも、身上の煩いや事情のもつれは、そのほとんどが親神様のご意志によるものではなく、私たちの心の理が原因だと教えられています。親の心配をよそに子供が勝手に怪我をしているだけなのです。

そこから考えますと、私たちが自覚しなければならないのは、親の目から見て、自分自身が「心配な子供」なのか「安心な子供」なのか? それよりもむしろ「残念な子供」ではないかという自覚です。 もしも、親に心配ばかりかけてしまっていると思うのならば、生き方や考え方を改める必要があります。
親神様は教祖を通して、我が子が生き生きと元気に陽気に暮らせるように、また、兄弟姉妹が仲良く助け合って、支え合って暮らせるように、人間の本来的な生き方や考え方をお教えくださっています。しかも、教祖が自らお通りくださって、その生き方の手本をお示しくださったのです。だから、お道の信仰は、御教えを生活に落とし込んでいかなければ意味がありません。普通の生活の中で実践してこそ意味があるのです。

天理教では、よく「おたすけ、おたすけ」と言いますが、まずは自分自身がたすかることが先決だと思います。つまり、自分自身が一人の人間として立派に立てるように、そして、親に安心してもらえるように成人していくことが先決だということです。もちろん、ここで言う成人というのは「心の成人」であり精神的な成熟です。決して、周囲の人からの手助けを受けることが未熟だということではありません。

また、現在の天理教では、「おたすけ」以外にも、よく「育成」とか「丹精」とか「育てる」と言いますが、農作物に置き換えて考えてみますと、農作物を育てているのは人間ではありません。農作物を育てているのは土であり水であり日の光です。つまり、親神様のご守護です。人間は、土を耕したり、邪魔な草や石を取り除いたり添え木をしたりと、植物が火水風のご守護を頂いて自ら育つのを手助けしているに過ぎません。人間だって同じです。実際に育ててくださっているのは親神様の十全のお働きであって、人間はその手伝いをしているだけなのです。
そこから思案しますと、まず何よりも大切なことは、自らが育つ意識を持つということ。そして、「自分の足で立てるようになる」ということです。昔から「独り立ち」とか「身を立てる」とか言いますが、「人が自ら立つのを支える」という視点を持ってこそ、本当の「おたすけ」ができるのではないかと考えています。

さらに、「かしもの・かりもの」の教えや「御恩報じ」ということも同じ視点で考えるならば、見え方が変わってきます。
おそらく、親である親神様は、どの子供にも等しく十全のご守護を以てお育てくださっていると思います。十全というのは万全という意味ですから、少しも欠けることのないご守護です。たとえば、その万全なるご守護が、水路を通って流れてくるとするならば、水路が詰まっていては大変です。水路が砂や木の枝やゴミで詰まっていたり、壊れてしまっていたら、せっかくのご守護も台無しです。私は、人の運命が行き詰るというのは、そういうイメージではないかと考えています。そして、その水路が詰まる原因は、すべて私たちの心の理にあるのです。また、おふでさきに

たん/\とをんかかさなりそのゆへハ
きゆばとみへるみちがあるから  (八号54)

と仰せられますが、親神様は恩が重なった我が子の行く末を大変お案じくださっています。
親である親神様は決して見返りがほしくてお世話取りをしてくださっているわけではありませんから、できれば恩着せがましいことは言いたくないけれど、恩が重なり過ぎては水路が詰まり、いずれ運命が行き詰ってしまう。それでは我が子が不憫だから、恩の報じ方、水路の掃除の仕方をお教えくださっているのだと思います。

このように、親神様が親であるというところから、親の目線で御教えを考えてみると、深く悟れるところがありますし、自分がどうすべきなのかが見えてくるように思います。、また、それこそが、教えの点と点とを繋いでくれる御教えの世界観なのです。
このお道の信仰は、拝み祈禱の道ではないと仰せられます。この道の信仰は、教えの理に沿って生活する生き方そのものだと思います。ですから、「通ってこそ道」と言われるように、自らが歩むことが肝心です。まずは、朝起き、正直、働き、この御教えの実践で、親神様の親心に少しでもお応えさせて頂けるよう、日々信仰生活を送らせて頂きましょう。

『芳洋』R184.2月号「風」より

皆さま、こんにちは。新たな年を迎えましたが、いかがお過ごしでしょうか?
今年は新年早々、新型コロナウイルスの感染者が爆発的に増え、日本中が大変な騒ぎとなっています。そんな状況の中ですが、天理大学のラグビー部が逆境を乗り越えて、初の全国制覇を果たすなど明るいニュースもありました。今年こそはコロナに負けず、皆様お一人おひとりにとって充実した、明るい一年となりますことを心よりお祈り申し上げます。

さて、昨年は新型コロナウイルスによる経済や社会生活への影響はもとより、お道の上からいたしましても、自由におぢばに帰参できなくなったり、月次祭を参拝できなくなったり、さらには事情教会の御本部お戻りなどもあって、まさに激動の一年となりました。そして、いま現在もまた、それが継続中といった状況でありますから、私自身、知らず知らずの内に気持ちが下向きになりがちな今日この頃であります。
しかし、こういう状況だからこそ、教祖の御言葉が私たちの行く道を明るくお照らしくださるように感じます。
『稿本天理教教祖伝逸話篇』には「198 どんな花でもな」というお話があります。

ある時、清水与之助、梅谷四郎兵衞、平野トラの三名が、教祖の御前に集まって、各自の講社が思うようにいかぬことを語り合うていると、教祖は、
 「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」
と、お聞かせ下されて、お慰め下された、という。

平野楢蔵先生ご夫妻がおやしきの常詰になられたのが明治19年の夏の終わり頃ということですので、このお話はその前後のお話ではないかと思われます。
その頃、のちの兵神大教会の初代会長・清水與之助先生、そして船場大教会の初代会長・梅谷四郎兵衞先生、さらには郡山大教会の初代会長夫人・平野トラ先生が、教祖の前で「なかなか講社が思うようにいきませんなぁ」と口々にボヤかれていたということでしょう。
この当時は官憲の取り締まりが非常に厳しくなっていた時期で、おやしきの門前には巡査が立って、参拝者を追い返したり、脅かしたりして、自由な信仰を妨げていました。
また、おやしきのみならず各地の講社でも官憲の取り締まりや、世間からの反対・攻撃・嫌がらせが激しくなっていて、布教するにも各地の先生方は大変な御苦労をなされていたようです。わが兵神真明講の講元・端田久吉先生はじめ主だった先生方も、警察から言い掛かりをつけられて、明治19年4月25日より27日に至る3日間、当時の兵庫夢野の監獄に収監されたそうです。さらに、翌4月28日には、講社の人々が集まる寄所を取り払い処分に処せられてしまいました。そうしたことが、信仰の浅い講社の人々に多大な衝撃を与え、それが故に退講する者も続出したようです。まさに、講社全体がいずんだ空気に覆われていたのではないかと想像されます。

そんな状況の中で、おそらく、当時の先生方からすれば「こんなことでは教祖に申し訳ない。少しでも教祖に安心して頂けるように。教祖にお喜び頂けるように」というような思いで、躍起になって頭を悩めておられたことだろうと思います。
そこに教祖が、「どんな花でもな、咲く年もあれば、咲かぬ年もあるで。一年咲かんでも、又、年が変われば咲くで。」とお慰めくださったということです。

考えてみれば、私たちもこの先生方と同じような思いを抱くことがあるように思いますが、長い年月の中には、旬が充ちる時もあれば、旬が外れることもあります。また、追い風が吹くような日もあれば、向かい風の日もある。嵐の日だってあります。
けれども、日が変わり、年が変われば、やがて旬が訪れ、いつか追い風が吹く日も訪れるわけで、だから教祖は、「焦らんでもよい。今はただ、たんのうして、先を楽しみに勇んで通れ」とお仕込みくださったのだと思います。
実際に、一昨年は度重なる台風の影響で野菜が不作となり、野菜の価格が高騰しましたが、昨年は逆に台風が少なく、野菜が大豊作で農家が困る程だったそうです。
つまり、教祖が仰せられるように、状況は年々刻々と変わっていくということですから、いまの姿に一喜一憂していずむよりも、「焦らずに前を向いて、先を楽しみに勇んで通れ」とお仕込みくださっているように感じます。

ちなみに、このお言葉を頂かれた当時の初代会長様の年齢は満44歳。奇しくも私の今の年齢も44歳ですから、偶然にもこのタイミングで、この教祖の御言葉に触れさせて頂けたことは、私にとって救いの光明となりました。
嵐の後には、空気も澄んで、綺麗な虹がかかるように、ひょっとしたら、今年か来年には何か良い事があるかもしれません。そのためにも、今の時間をしっかりたんのうして、陽気に前を向いて明るい心で通らせて頂き、日々理を伏せ込んで、有意義な時間を過ごさせて頂きたいと思います。
親神様は、私たち人間にとって、真実の親なるご存在です。その真実の親の願いはいつでも、子どもである人間が生き生きと明るく陽気に暮らすことであり、また、子どもである人間が、互いに仲良く助け合って暮らすことなのだと思います。
ですから、その親の思いに応えられるよう、このお道にお引き寄せ頂いた私たちは、日々共々に勇ませ合って、生き生きと陽気な毎日を過ごさせて頂けるよう、心の成人に努めさせて頂きたいものです。

『芳洋』R184.1月号「風」より

新型コロナウイルスの感染再拡大により、いまだ困難な状況が続いておりますが、皆さまにおかれましては、この一年もそれぞれのお立場の上に、また大教会の上に精一杯の誠真実をもっておつとめくださいましたこと、心より厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
そして、新たに迎えます年が、皆さまにとって健やかな喜び多い一年となりますことを、心よりお祈り申し上げます。

振り返りますと、立教183年(2020年)は新型コロナウイルスの影響により、歴史に残る大変な一年となってしまいました。イベントや行事は軒並み中止を余儀なくされ、生活や経済活動にも多大な影響が及び、これまで当たり前だと思っていたことは、実は当たり前でなかったということに誰もが気づかされるような日々でした。
また、目に見えないウイルスに対する不安と恐怖が社会に混乱を招き、自分勝手な心無い言動や誹謗愁傷、差別などが後を絶たず「身勝手」や「隔て心」といった人の心の理が露わになった一年でもありました。
私の身近には、まだ罹患された方はおられませんが、兵神のようぼくの皆さまの中にも陽性と診断された方がおられたそうですから、新型コロナウイルスは、すぐ近くまで迫ってきているものと認識したほうが良さそうな状況です。
とにもかくにも、お道の信仰者は、一日一日、親神様・教祖にお連れ通りを願って通らせて頂くことが肝心だと感じます。そのためにも、大教会が成人目標として掲げている「朝起き・正直・働き」の信仰実践を改めてお願いしたいと思います。

さて、「朝起き・正直・働き」といえば、「少年会の歌」の歌詞に「三つの教え」として出てきますので、比較的聞き馴染みのあるワードだと思いますが、具体的にどうすることが「朝起き・正直・働き」なのかについては、これまではっきりしたことが分かりませんでした。ですので、兵神大教会としましては、私の悟りの上から、
 
○朝起き・・起床して、まずおつとめを勤め、身上かりものの御礼と御願いから一日を始めよう。
○正直・・八つのほこりの心づかいに気をつけて通ろう。
○働き・・御恩報じのひのきしん、おたすけに誠真実を尽くそう。
 
と呼びかけさせて頂いてまいりましたが、それでは根拠に乏しく、納得がいかないという方もおられたことかと思います。
そこで、改めて、この「朝起き・正直・働き」という教えに向き合ってみたいと思います。

『稿本天理教教祖伝逸話篇』29  三つの宝
 
 ある時、教祖は、飯降伊蔵に向かって、 
 「伊蔵さん、掌を拡げてごらん。」
と、仰せられた。
 伊蔵が、仰せ通りに掌を拡げると、教祖は、籾を三粒持って、
 「これは朝起き、これは正直、これは働きやで。」
と、仰せられて、一粒ずつ、伊蔵の掌の上にお載せ下されて、
 「この三つを、しっかり握って、失わんようにせにゃいかんで。」
と、仰せられた。
 伊蔵は、生涯この教えを守って通ったのである。

この逸話の最後に、「伊蔵は、生涯この教えを守って通ったのである。」とあるところからして、お言葉を頂かれたご本人である本席(飯降伊蔵)様の日々の通り方を見れば、確かな根拠になると思いますので、『本席の人間像』という本を引用したいと思います。因みに、この本は、兵神の三代会長・清水由松先生の述懐を甥である橋本正治先生が聞き取りし、まとめてくださったものです。清水由松先生は、兵神の会長になられる前は、御本席宅専属の青年として長らくおつとめになられた御方です。

ほのぼのと東の青垣の山の端が白みそめる。ざくざくとゆきかう下駄の音が、ひつきりなしにおやしきを中心に響こう。本席様はしんとして、時折ひそやかに青年が、朝の支度に右往左往する気配があるだけ。
突然寄せ太鼓が鳴ると間もなく、上半身を床の上に起こされる。
 (中略)
洗面は至極簡単に終る。井戸やかたの北側の庭へ出て、おやしきへむいて立つたまま、親神様、教祖様、祖霊様に黙祷されること約十分、始めと終りとに拍手されるだけである。その間におりんさん(※)は、お居間でお召し替えの用意。
御拝が終ると、庭づたいにお居間へ帰られる。※増井りん先生
〈橋本正治著『本席の人間像』(養徳社)88頁〉

と記されています。
少し読みにくく感じられたかもしれませんが、この述懐によれば、本席様は夜が明ける頃にご起床なされて、庭の井戸で洗面を済まし、そのままおやしきの方向に向かって、立ったまま親神様・教祖・祖霊様を礼拝されたということです。
ここでまず大事なポイントは「時刻」です。夜が明ける頃、つまり日の出の時刻が「朝」ということです。今でも教会本部の朝づとめは日の出の時刻に合わせて勤められていますが、昔は目覚まし時計などありませんでしたから、朝と言えば日の出の時刻を言うのが普通だっただろうと思います。
次に大事なポイントは、起床されて洗面を済まされたら、すぐに親神様・教祖・祖霊様を礼拝されているという点です。つまり、本席様の一日の日課の最初が、親神様・教祖・祖霊様への礼拝だったということです。
まとめますと、教祖が仰せられる「朝起き」とは、夜明けとともに起きて、親神様・教祖・祖霊様へのご挨拶から一日を始めるということだと説明できるのではないでしょうか。

次に、「正直」です。これについては、『稿本天理教教祖伝逸話篇』「111 朝、起こされるのと」というお話の中で教祖が、
「陰でよく働き、人を褒めるは正直。聞いて行わないのは、その身が嘘になるで。」
と仰っておられます。裏を返せば、いくら表でよく働き、本人のいる前で相手を褒めてみても、陰でさぼったり、人の陰口を言うようでは正直とは言えません。つまり、「裏表のない心で通れ」ということが、神様が望まれていることなのではないでしょうか。
また、「はい」と聞いていながら、約束や誓いを守ろうとしないのは「うそ」になります。さらに言えば、親神様の思召や戒めを聞かせて頂いて、すでに知っていながら知らん顔して通っているのも正直ではないと仰っているのだと思います。相手の前では良い顔をして、裏で舌を出しているようでは、親神様のお嫌いな「うそ」「ついしょう」となってしまいます。神様は裏も表も見抜き見通しですから、常に裏表のない正直な心で通ることが望まれているのだと思います。

そして、「働き」ですが、これも『稿本天理教教祖伝逸話篇』「197 働く手は」の逸話の中で教祖が、
「働くというのは、はたはたの者を楽にするから、はたらく(註、 側楽・ハタラク)と言うのや。」
とお聞かせくだされています。「はたはたの者」というのは、自分の周りの人たちということです。
飯降伊蔵先生は、櫟本の自宅からおやしきに通われている頃、夜中の帰り道に、橋の壊れているところを見つけては、こっそり修理されていたということです。そこからすると、
人が見ていても見ていなくても、周りの人たちに喜んでもらえるように身や心を尽くす働きが、教祖の仰る「働き」なのだと思います。
以上が、「朝起き・正直・働き」という三つの教えに込められた親神様・教祖の思いだと悟らせて頂きます。これに基づき、兵神大教会の成人目標を一部変更させて頂きました。

○朝起き・・起床して、まずおつとめを勤め、身上かりものの御礼と御願いから一日を始めよう。
○正直・・裏表のない心で通り、御教えの実践を心がけよう。
○働き・・御恩報じのひのきしん、人だすけに誠真実を尽くそう。
 
只今のような長引くコロナの事情の中だからこそ、親神様・教祖のお望みに適うよう、素直な心で、御教えの実践を日々心がけて通らせて頂きたいと思います。
本年も一年、ありがとうございました。

『芳洋』R183.12月号「風」より

今月は、ちょっと私の独り言。
先日、「世界で最も貧しい大統領」として知られる南米ウルグアイのホセ・ムヒカ元大統領が、政界を引退したと報じられた。

氏は報酬の大部分を貧困救済のための財団に寄付し、月1000ドル強で生活している。財産と呼べるものは昔友人からもらった1987年型のワーゲンビートルだけだという。
そんな暮らしぶりから「世界で最も貧しい大統領」と呼ばれているが、本人は貧しいのではなく質素なだけだと言っている。

2012年にブラジルで開催された「地球サミット」リオ会議のスピーチでは、昔の賢人の言葉を借りて、「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」と述べている。こうしたムヒカ氏の言動や信念が、世界に大きな共感と影響を与えている。
個人的な見解を述べれば、お道の考え方や教祖の教えの方が遥かに優れていると思う。

しかし、いまムヒカ氏の言葉や生き方が人々の心に刺さり、人々の心を動かしているのである。
それはつまり、氏の「生き様」が人々の心に感動や共感を生んでいるのだと思う。

生き様にもいろいろある。「生き様」とは、その人が生きていく態度・ありさま・生き方を指す言葉だが、マザー・テレサのように人に尽くし人のために生きる生き様もあれば、カリスマ的ミュージシャンのように、何物にも縛られず自分らしく生きるという生き様もあると思う。
また、アメリカ大統領の言動を見て、その生き様が「かっこいい」と感じる人もいれば、「かっこ悪い」と感じる人もいて、受け取り方は千差万別である。

さらに言えば、スウェーデンの環境活動家・グレータ・トゥーンベリさんのような十代の若者の生き様が人々の心を動かすことさえあるのだから、年齢や立場は関係ない。
こうして見れば、ひとりの人間の生き様が人の心を動かし、人の心の向きを変えさせるような影響を与えていることがわかる。

Bloomberg.co.jpより

実は、お道も同じである。教祖のご存在やひながたについては言うまでもないが、教祖の高弟と呼ばれる先生方の生き様、各地の講元たちの生き様、そして、それぞれの教会の元一日を成した先人たちの生き様が、多くの人々を感化し導いてきたのである。

ある教会を訪れた時、女性の初代会長さんについて、「初代会長は、理にはとても厳しかったけれど、とにかく優しかった。教祖みたいな人だった」と人々が語っているのを聞いたことがある。派手さはなくとも、やさしさも立派な生き様となるのだ。

「生き様」とは即ち「生き方」のことであるが、「生き様」という言葉は、その人の信念や志・覚悟といったものを感じさせる。
たとえば、人に尽くし人のために生きる生き様であっても、何物にも縛られず自分らしく生きるという生き様であっても、周囲の人々と違う生き方を選択するからには、必ずしんどい思いもするだろうし、何の覚悟もなく通れるものではない。そこには、必ず何らかの「決心」があるはずである。
強い決心があるからこそ、その人の信念や志・覚悟がきらりと輝くのだと思う。

このお道の信仰は、拝み祈祷(きとう)の道ではないとお聞かせ頂く。
この道の信仰は、教えの理に沿って生きる「生き方」であると思う。
また、道は歩むから道なのであって、自ら歩むところに意味がある。つまり、いくら教えについての知識や理解があっても、生き方に反映されなければ、あまり意味を成さないものである。
親神様・教祖は、私たちに人間の本来あるべき生き方、あるいは真にたすかる生き方をお教えくださっている。その生き方を自らが歩む生き方とする「決心」があれば、その道を歩む人の姿はきらりと輝きを放つ「生き様」となって、やがて人の心を動かすかもしれない。
自分は、どんな「生き様」を歩む(残す)ことができるだろうか。そろそろ、心を決めて歩み出す旬(とき)がきているのかもしれない。

『芳洋』R183.11月号「風」より

いよいよ秋の行楽シーズンとなりましたが、皆さんはもう「GO TO キャンペーン」を利用して旅行や食事に行かれましたか? 
こわいもので、これだけ「GO TO」「GO TO」と言われると、旅行やレストランに行かなければ、時代に取り残されてしまうような気がします。
このように、新型コロナウイルスの事情は未だ終息していませんが、集会などの規制が大幅に緩和され、おぢばがえりの団参も条件付きではありますが、自由に計画させて頂ける状況となりました。残念ながら、詰所は「GO TO トラベル」の対象ではありませんが、ぜひ、おぢばがえりをして頂きたいと思います。またこの度、大教会の秋季大祭も人数制限を外して、自由に参拝して頂けるようにいたしました。

しかしながら、新型コロナウイルスが消えて無くなったわけではありませんので、常に様々な対策を講じる必要がありますし、いくら対策しても感染のリスクやクラスター発生のリスクは常に付きまとうわけですから、気を抜くことはできません。ましてや、これほどに活発に人が動けば、どこで感染してもおかしくない状況です。このような状況においては、もう、日々親神様・教祖のお連れ通りを願って通るしかありません。
世の中には、「ビビり過ぎだ」という声もあるようですが、自分が感染することが怖いのではありません。家族や周囲の人を危険に晒してしまうことが怖いのです。
新型コロナウイルスと共に生活するようになって早9カ月になりますが、このふしを通して私たちが学ばなければならなかったことは、「日々、毎日、お連れ通りを願って通る」ということだったのではないかと感じています。

Bloomberg.co.jpより
劇画「教祖物語」より

さて、今月は、立教の元一日天保9年10月26日に所縁ある月ですので、各教会でも秋季大祭をおつとめになられたことと思います。この立教の元一日について親神様は、
 
月日にわせかいぢううをみハたせど
もとはじまりをしりたものなし     十三号30
このもとをどふぞせかいへをしへたさ
そこで月日があらわれてゞた        十三号31
月日にハこのしんぢつをせかへぢうゑ
どうしてなりとをしへたいから   十三号33
 
と仰せられています。このように、この世と人間の元はじまりの真実と元なる親の存在を、なんとかして世界の子供に伝えたいと思召されて、親神様はこの世の表にお現れになったのです。そして、それは世界中の人間を真にたすかる方向へとお導きになるためでありました。

このよふを一れつなるにしんちつを
たすけたいからしらしかけるで       九号28
いまゝでにないたすけをばするからハ
もとをしらさん事にをいてわ         九号29
いまゝでもしらぬ事をばをしへるハ
もとなるをやふたしかしらする      九号30
元なるのをやふたしかにしりたなら
とんな事でもみなひきうける         九号31
 
この世と人間の元はじまりの真実と、元なる親の存在を明かすということは、すなわち「十全の守護」や「かしもの・かりものの理」を明かすことでもあり、そこに込められた親神様・教祖の「親心」を明かすことでもあります。

「この世は神の体、人間は神の懐住まい」とお聞かせ頂くように、人は親神様のご守護と親心に包まれて生かされています。
しかしながら、この御恩や親心を知り、その御恩に対して御礼を申し上げて生きてきた者はありません。大恩をお掛け頂きながら、御礼も言わず、恩に報いることもなく通っていれば、自ずと恩が重なります。
真実の親である親神様が、常に十分にご守護くださっているにも拘らず、身上や事情で苦しむというのは、自らの心づかいによって蒔いた種と恩が重なってしまった結果と言えるでしょう。
もちろん、「をや」である親神様は、子どもに見返りなどお求めになりませんが、子どもたちを救いたいからこそ、恩が重ならない真にたすかる生き方を教えたいのだと思います。
そこから考えますと、このお道の信心を歩む上で最も大切なポイントは、

○親神様・教祖を「をや」と思うこと。
○親神様・教祖のご守護に御礼を申し上げること。
○親神様・教祖にお連れ通りを願って通ること。

この三つではないかと思います。

ひと口に「お道」と言っても様々な段階があると思います。私はこのお道の信仰を大きく分けると、三つの段階になると考えています。
まず第一に、我が身・我が家のたすかりを願う信仰。身上や事情に悩み煩うところから救いを求め、その運命を切り替えるべく親神様・教祖にすがり、たすけを願うのです。お道のみならず、およそ信仰というものは、どんな信仰でも「願い」、「祈る」ところから始まるものだと思います。そして、それが信仰動機となるのです。
次に、だんだんと教えの理が心に修まり、いよいよ「をや」の親心や御恩が悟られてきて、御恩返しに何か少しでも「をや」の手伝いをさせて頂きたいと志す、それが「ようぼく」の信仰です。
第三に、いよいよ「をや」のたすけ一条の親心が我が心となって、
人生を賭して「をや」のたすけ一条の御用を担って生きようと決心する、いわゆる「道一条」、取り次ぎの信仰です。
どの段階も立派なお道の信仰だと思いますが、どの段階であっても、最も重要なポイントは、やはり、前に挙げた三つだと思います。

現代に生きる私たちは、科学技術の発展の成果もあり、大きな富と繁栄を手にしています。そのせいか、世界も自然も人間の知恵や力を以てすれば意のままに支配することができるはずだと過信し、神様や自然に対する畏敬の念や謙虚さが失われ、願うことも減りました。しかし、それは重大な思い違いであり、高慢のほこりです。
今こそ、改めて真実の「をや」の存在に気づくべき時が来ているのだと思います。
それぞれに与えられた寿命を迎えるその日まで、身上の自由が叶い、心の自由が叶うように、また、日々無事に結構にお連れ通り頂けるよう、一日一日謙虚な姿勢で、親神様の御守護と教祖のお連れ通りを願って通らせて頂きましょう。

『芳洋』R183.10月号「風」より

昨年の3月末に教会本部より、会長が不在の無担任教会であり、かつ御目標様がすでにお許し頂いた場所になく、かつ実質的な教勢がない事情教会について、御本部へのお戻り・お預けが打ち出され、兵神大教会部内からは該当する25教会の親神様、教祖の御目標様を、この度、御本部へお戻り、お預けさせて頂きました。
兵神部内教会の内、実に約一割の教会が本来の教会としての役割を果たすことができず、その歴史に終止符を打つことになってしまったことは、誠に申し訳なく、只々残念としか言いようがありませんが、それぞれの教会が今日の姿に至る道中には、戦争の時代があり、地震や洪水といった自然の猛威にも晒され、さらには、それぞれのやむにやまれぬ事情を抱える中で、少しずつ信者さんが減少し、やむを得ず今日の姿に至った経緯があるのですから、単純に誰かを責めるわけにはいきませんが、その原因を探り、課題を明らかにして、再び同じ轍(てつ)を踏まないように改善していくことがとても大切な事だと感じています。

教会が存続できなくなる理由にはいろいろな事情があると思いますが、その中でも最も大きな理由は、その教会に、教会を守り抜こうとする信仰者がいなくなったということだと思います。
教会というものは、『天理教教典』に、「教会は、神一条の理を伝える所であり、たすけ一条の取り次ぎ場所である。」と説明されるように、信仰者が信仰を求めるために設けられた場所であり、親神様、教祖のたすけ一条のお働きを取り次ぐための場所であります。ですから、そこに信仰を求める人間がいなくなれば、自ずと教会もその役割を失うのです。

私は、人が何かを成し遂げようとする時、最も大切なことは明確な動機づけや意義づけではないかと考えています。
もちろん「なんとなく」という場合もあるでしょうが、困難を乗り越え、努力をし、やり抜くためには、「自分は何のためにそれをするのか?」「それをすることで、自分は何を得られるのか?」というような、明確な意義づけや動機が必要になってくると思います。
たとえば、「お供え」、「理立て」、「お尽くし」、「日々の理」、どれも金銭のお供えを指す言葉としてお道では日常的に使われますが、言葉を使い分けているということは、当然、意義づけも異なるということだと思います。
これらの使い分けについて、明確な答えというものは、私自身も聞かせてもらったことはありませんが、私なりに定義いたしますと、
「お供え」とは、親神様、教祖の大恩に対する御礼。人間が日々暮らす中に頂戴する御守護とお掛け頂く親心への感謝を形に表したもの。
「理立て」とは、何か事柄に当たって、親神様、教祖にお願いを申し上げる際に添える誠意を形に表したもの。
「日々の理」とは、一日のはじめに、今日一日を無事にお連れ通り頂きたいという願いに添える「理立て」のこと。
「お尽くし」とは、親神様、教祖の急き込まれる「たすけ一条」の上に、金銭を以て尽くすこと。
このような意義づけができるように思います。どうでしょう? 皆さんの納得のいく説明になっているかどうか分かりませんが、もしも自分自身が納得のいく意義づけが出来れば、物事を前向きに捉えることができるのではないかと思います。
そして、明確な動機や意義づけがあれば、確かな手ごたえを得ることができるでしょう。

私たちの先祖は、この道の信仰に対して明確にそれを持っていたのだと思います。
たとえば、「教祖にお会いしたから」、「自分自身が救けられたから」、「おたすけで奇跡を目の当たりにしたから」、そういった自らの実体験を通して、親神様のご存在とお働きを強く確信しておられたことでしょう。
だからこそ、周囲の人々に反対されようが、バカにされようが、この道を一すじに歩めたのだと思います。それこそが信仰のエンジンとなったのです。


自分は何のために、この道を歩むのか?
この道を信仰することで、自分は何を得られるのか?
自分にとって教会とは何か?
 
そう問われた時、あなたは何を思うでしょうか? 

それぞれに答えは違うかもしれませんし、統一された答えがあるわけでもないかもしれません。また、今はまだハッキリとした答えを見つけられないという方も、決して焦る必要はありません。しかし、それぞれが自分の心に問いかけて、自分なりの答えを導き出す必要があるように思います。
なぜなら、それこそが、私たちの信仰のエンジンとなるのですから。

『芳洋』R183.8月号「風」より

去る七月五日、父・清水與一が静かに息を引き取りました。
父の出直しに際しましては、皆様より鄭重なるご芳志を賜り、またご厚情をお寄せ頂きましたこと、心より厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。
また、故人の生前中には、皆様より多大なるお力添えを賜りましたこと、重ねて御礼申し上げる次第でございます。ありがとうございました。

父は、兵神大教会の五代会長として、また、教会本部の准員、別席取次人としてつとめさせて頂きました。
五代会長の足跡を簡単に振り返らせて頂きますと、
 
昭和22年9月4日、兵神大教会四代会長・清水國雄、久子夫妻の長男として誕生。以後、おぢばで育つ。
天理幼稚園、天理小学校、天理中学校と学びの業を修め、天理高等学校に進学。
昭和41年1月21日、おさづけの理を拝戴。
昭和41年3月、天理高等学校を卒業。昭和41年5月、教人となる。
その後、四代会長の命によりブラジルに渡航、ブラジル芳洋教会の設立を手伝う。帰国後、神戸学院大学に入学。
昭和48年5月、本芝大教会長・白木原明宏、よしゑ夫妻の長女・白木原俊子と結婚する。
昭和50年1月、長女・初女誕生。
昭和51年3月、神戸学院大学卒業。
昭和52年11月、天理教青年会本部・副委員長を拝命。

昭和54年7月26日、兵神大教会五代会長の理のお許しを戴く。10月29日には、創立90周年記念祭と併せて、就任奉告祭が盛大につとめられた。
昭和54年9月、本部詰員を拝命。
昭和55年7月、兵庫教区主事を拝命。以後、平成13年まで7期、21年間勤める。
昭和60年12月、別席取次人を拝命。
昭和61年1月、本部准員に登用される。
昭和61年4月、海外布教伝道部オセアニア課長を拝命。
昭和62年6月、神戸ポートアイランドのワールド記念ホールを会場に、「陽気ぐらしの集い」を開催、また一方で、チャリティーバザーを数回にわたり実施し、収益のほぼ全てを神戸市へ寄贈する。

平成7年1月17日、阪神・淡路大震災により、大教会の本館、東館、その他の建物が損壊。その中にも、自ら陣頭指揮にあたり、多くの被災者の受け入れを進めるとともに、部内教会の安否を確かめるため、原動機付きバイクで巡回する。
平成11年10月24日、創立百十周年記念祭に代えて、おぢばで記念行事を開催、五千六百余りの人々がおぢばに帰り集い、本部西境内地で総立ちまなびを実施する。

平成12年、淡路島で行われた「淡路花博」では、行政側からの要請を受け、兵庫教区管内教友の力を結集する中、その陣頭指揮を担って花博の成功に大きく寄与する。
平成13年6月、兵庫教区長を拝命。
平成13年9月 脳内出血で入院するも、全快のご守護を頂く。
平成16年4月、兵庫県宗教連盟の理事長に就任。さらに、「叡智の会」の初代会長をつとめる。
平成16年5月、教務支庁での講演中に、脳幹出血を発症し倒れる。
平成17年12月、長女・初女の婿として、山名大教会より諸井慶政を迎える。
平成24年6月、肺水腫により40日間入院。
平成24年9月26日、清水慶政が兵神大教会6代会長を拝命。在職33年を以て、大教会長職を退任。
平成25年10月、腰部脊椎管狭窄症により2ヶ月間入院。以後、自宅看護を受け、療養生活。
平成27年、急性心不全で入院。
令和2年6月26日未明、極度の貧血と呼吸困難で緊急入院。7月4日、退院。
7月5日午後11時47分、自宅にて慢性心不全で身上をお返しする。満72歳。

以上、ごく簡単に振り返らせて頂きましたが、その功績は枚挙に暇がございません。
しかしながら、五代会長の人生は、幾多の大ふしや自身の身上と、どちらかというと波乱万丈の人生であったように感じます。脳幹出血を患ってからの約16年間は、後遺症と闘いながらの苦しい日々でした。また、最後のひと月は、極度の貧血から呼吸困難となっておりましたので、さぞ、しんどかったことだろうと思いますが、最期は俊子母と初女に見守られる中、自宅で静かに、穏やかに息を引き取ることができました。一人娘の初女が歌う「みかぐらうた」を聴きながらの最期だったということで、とても安らかで幸せな最期だったと思います。
兵神につながる皆様には、父の生前中、大変お世話になり、また、ご迷惑もおかけしたことと存じますが、皆様より賜りましたご厚情に、父に成り代わり心より厚く御礼を申し上げる次第でございます。
この後も、兵神大教会の上に、変わらぬお力添えを賜りますようお願い申し上げ、御礼のご挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。